%T 塙系譜(ハナワ ケイフ) / 塙忠韶[著]. [写本] %C 請求記号:鴎H20:487 %C 注記:全頁 %C 『小島宝素』の資料。全丁鴎外の自筆である。冒頭には「答弁」と題された、塙忠韶の鴎外宛書翰の写しが置かれている。次の「塙略系」は、塙保己一にはじまる塙家の系譜であり、本書の大部分を占めている。「塙略系」の末尾には、「右予ガ塙君忠雄ニ質シタルニ答ヘムタメ其父塙君忠韶ノ手記セルヲ影写ス 大正五年四月二十三日夜十時 源高湛」とあり、同日の鴎外の日記にも「塙系図を写す」とあることから、制作の年月日と由来がわかる。さらに、塙忠韶の鴎外宛書翰2通の写しも合綴されている。鴎外による朱筆の書入れも、若干見られる。『小嶋宝素』における塙家についての記述は、大部分が本書に依拠している。(出) %C 関連作品: 『小島宝素』(全集18巻) %C 参考文献: 山崎一穎「『小嶋宝素』考補遺—『塙系譜』について—」(『鴎外』18号,1976年1月) %C 翻刻: 山崎一穎「『小嶋宝素』考補遺−『塙系譜』について−」(『鴎外』18号,1976年1月)(部分) %T 樸齋詩題(ボクサイ シダイ) . [写本] %C 請求記号:鴎E45:734 %C 注記:全頁 %C 門田朴齋の『朴齋先生詩鈔』から詩題を抜書し、人名に朱筆で傍線を附した書。『伊沢蘭軒』『北条霞亭』には朴斎に関する言及が散見し、『朴斎先生詩鈔』も考証の資料として使われている。文人たちの交流を主軸に置く晩年の史伝執筆にあたっては、こうした人名ノートの作成が多く行われた。(多) %C 関連作品: 『伊沢蘭軒』(全集17巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html %C 関連作品: 『北条霞亭』(全集18巻) %T 渭南文集 52巻目録2卷坿閲古泉記南園記(イナン ブンシュウ) / (宋)陸游著. %C 請求記号:鴎E42:201 %C 注記:書入頁 %C 「渭南文集」は、南宋の代表的詩人である陸游(号は放翁)の晩年の詩文集である。 全52巻中、第40巻以降は筆写本であるが、鴎外の筆ではない。ただし、第47巻の巻末、及び第48巻の第1丁には、鴎外が自筆で筆写稿の欠文を補った箇所が見られる。また、本作後序に続いて、清代の文人趙翼の「甌北詩話」の一節が別筆により、筆写されているが(49ウ)、その筆写は同箇所の識語により文政11年(1828)には行われていたことがわかる。 さらに、最終巻には鴎外の筆による「閲古泉記」、「南園記」、「放翁逸稾目録」が合綴されているが、「南園記」の巻末には鴎外自筆の識語が置かれ、大正8年(1919)7月21日に「桂氏」から『知不足斎叢書』所収の『四朝聞見録』を借覧し、この二文を抄写したことが記されている。また「放翁逸稾目録」の巻尾には、毛晋による識語が写されているので、鴎外は何らかの形で毛晋が汲古閣から刊行した『放翁逸稿』を閲読し、その目録のみを写したものであろう。 なお、最終巻の蔵書印から、多紀元簡《もとやす》(徳川幕府の医官)の旧蔵書であったことがわかるが、この多紀元簡は、「伊沢蘭軒」「渋江抽斎」にも散見する人物である。(渋) %C 関連作品: 『渋江抽斎』(全集16巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2058.html %C 関連作品: 『伊沢蘭軒』(全集17巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html %C 参考文献: 佐藤保「渭南文集・剣南詩稿版本考」(『中国文学研究』2号,1961年12月) %C 参考文献: 尾形国治『明治期文学の諸相』八千代出版,1994年 %T 肥後國志略(ヒゴ コクシリャク) / 森本一瑞謹誌. [写本] %C 請求記号:鴎J30:363 %C 注記:1のみ全頁 %C 肥後熊本の地図史料。 肥後は『阿部一族』、『栗山大膳』など、歴史小説の舞台となった。本資料はそうした肥後への関心のもと、入手したものであろう。地名その他が、墨筆で書入れてある。 本文庫中、閲覧記録の明らかな地図資料は珍しい。歴史小説の直接の材料となった永青文庫所蔵資料とあわせて、鴎外の肥後に関する知識を明らかにする資料の一つと言えよう。(多) %C 関連作品: 『阿部一族』(全集11巻) %C 関連作品: 『栗山大膳』(全集15巻) %C 参考文献: 尾形仂『森鴎外の歴史小説 史料と方法』筑摩書房,1979年 %T 烏琴齋雜録(ウキンサイ ザツロク) / 不操愛琴居士録. [写本] %C 請求記号:鴎A90:267 %C 注記:全頁 %C 鴎外による自筆写本。冒頭に「不操愛琴居士録」とあり、明治大正期の漢詩人大江敬香(愛琴)の作成したノートを写したものと思われる。初期の頃に使用されていた牽舟居士の原稿用紙に書かれており、鴎外が大学を卒業する前後に書かれたものではないかと考えられる。内容は前半が漢籍、歌書、仏書などからの抄録であり、『後漢書』、『頼豪』、『荘子』、『世事百談』などの書名が見られる。後半は、向山黄村著『游晃小草』、『祖父詠歌』、『こころのさる』などからの抄録であり、赤字で批点圏点が書き込まれている。(神) %C 参考文献: 山根弘子「森鴎外自筆抄本翻刻-「茶事雑抄 一名須貴屋廼塵」I-」(『近代文学注釈と批評』5号,2003年5月) %T Sonst und jetzt : populäre Vorträge über Geologie / von Fr. Aug. Quenstedt. %C 請求記号:鴎T500:118 %C 注記:書入頁 %C クヴェンシュテット『昔と今:地学に関する一般向け講演集』。 ミュンヘンで1886年3月27日に購入との識語があり、鴎外がミュンヘン留学中に購入したとみられる。標題にある通り、一般向けの地学講演集。特に地学の歴史についての章、石炭についての章、聖書伝説と地学についての章には鉛筆による書入れ、下線が全体にわたって見られる。鴎外が「科学」と「神話」の問題について留学当時から深く関心を持っていたことがわかる。(河) %T 北條文書(ホウジョウ モンジョ) . [写本] %C 請求記号:鴎H20:456 %C 注記:全頁 %C 北条霞亭に関連する資料を1冊に綴じた本。一部に謄写版の資料を含む。『北条霞亭』の資料となった。大正5年(1916)11月28日島田青峰宛書簡で鴎外が依頼した、「北条御一家ノ戒名歿年歿時ノ齢」の書抜きや、『北条霞亭』その三に、「福田禄太郎さんの手より許多の系譜、行状、墓表等の謄本を贈られた」とあるが、それらの資料をまとめたものが本書であると思われる。秋荘老人・横山廉次郎・浜野知三郎らの来翰が付されている。(出) %C 関連作品: 『北条霞亭』(全集18巻) %T 攝西六家詩鈔 6巻(セッセイ リクカシショウ) / 墨香生[輯]. %C 請求記号:鴎E45:850 %C 注記:書入頁 %C 幕末期に『摂東七家詩鈔』と対で編纂された漢詩詞華集であり、篠崎小竹をはじめ、関西以西に住む当時の著名漢詩人6名の作品を収めている。広瀬淡窓の詩「西鄙童子」(巻二)への書入れが興味深い。まず、その末尾に「癸未九月湛記」とあることから、本書は、明治16年(1883)、鴎外22歳の頃に読まれたことが分かる。また、「路逢故友如不識 纔談平生愧欲死」という詩句に対して、「●去大学、志之荒亦甚矣。読到『路逢』云●之句、何能不愧死」との評が付されている(●は、裁断による未読字)。その大意は、「淡窓の詩を読むと、詩句に見える学問を廃した青年の様子が、大学卒業後、向学心を失ってしまった自分の姿と重なり、たいへん恥ずかしい気持ちになる」というものであり、当時の鴎外の心境がうかがえる。なお、各巻末の「慶応三年丁卯二月於浪花求之 曾順寧蔵書」という書入れは旧蔵者のものであり、鴎外とは関係ない。(合) %C 参考文献: 合山林太郎「青少年期の森鴎外と近世日本漢文学−鴎外文庫の蔵書調査から得た知見を中心に−」(『文学』8巻2号,2007年3・4月) %C 翻刻: 山根弘子「森鴎外青年期の漢文学受容(2)」(『近代文学注釈と批評』2号,1995年5月) %T 名倉系圖(ナクラ ケイズ) . [写本] %C 請求記号:鴎H20:469 %C 注記:全頁 %C 桓武天皇にはじまる名倉家の系図であり、全丁が鴎外の自筆にかかる。名倉家は近世中期、著名な接骨医である弥次兵衛直賢《なおかた》を輩出した家で、彼は『渋江抽斎』その二十二・二十三、および『寿阿弥の手紙』に登場している。現在名倉家には、差出し年月は不明ながら、鴎外が当時の当主であった謙蔵に宛てて、略系と江戸時代の居所について問い合せた手紙が残されており(『名倉重雄伝』25頁)、これを機として名倉家に蔵されていた何らかの文献を筆写したのが本資料であろう。謙蔵は大正5年(1916)7月6日に鴎外宅を訪れているから(鴎外の日記による)、この時に資料の授受が行われた可能性もある。なお、『埼玉苗字辞典』の「川越」および「名倉」の項には、名倉家蔵とされる「名倉系譜」あるいは「名倉家譜」なる文書が引用されているが、その内容は本資料の記述とほぼ重なっており、何らかの関わりが推定できる。(出) %C 関連作品: 『渋江抽斎』(全集16巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2058.html %C 関連作品: 『寿阿弥の手紙』(全集16巻) %C 参考文献: 村地俊二『名倉重雄伝』名古屋大学医学部整形外科学教室同門会,1990年 %C 参考文献: 名倉弓雄『江戸の骨つぎ』毎日新聞社,1974年 %C 参考文献: 茂木和平『埼玉苗字辞典』私家版,2004-2008年 %T 挍勘家事蹟(コウカンカ ジセキ) . [写本] %C 請求記号:鴎H20:394 %C 注記:全頁 %C 鴎外・渋江保ほか複数の筆跡による原稿などを綴じた本。『渋江抽斎』、『伊沢蘭軒』の資料となった。鴎外の自筆になる項目としては「校勘家伝統」、「市野迷庵」、「狩谷棭斎」などが立てられ、また諸家の事蹟・墓所調査の記録のほか、渋江保・三村清二郎の書簡なども合綴されている。(出) %C 関連作品: 『渋江抽斎』(全集16巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2058.html %C 関連作品: 『伊沢蘭軒』(全集17巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html %C 参考文献: 梅谷文夫『狩谷棭斎』吉川弘文館,1994年 %C 参考文献: 坂本秀次「「鴎外文庫」目録抄(第九回)」(『鴎外』33号,1983年7月) %T 悔堂亂稿人名鈔(カイドウ ランコウ ジンメイショウ) / 北條退撰. [写本] %C 請求記号:鴎H20:472 %C 注記:全頁 %C 北条霞亭の養嗣子、北条悔堂の漢詩文稿である『悔堂乱稿』から、鴎外が人名や詩題などを抄録したもの。『北條霞亭』の資料として制作されたものである。鴎外は随所に、朱筆で注記や考証を書き込んでいる。原本である『悔堂乱稿』は、写本でしか伝わっていない(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫蔵)。(出) %C 関連作品: 『北条霞亭』(全集18巻) %T 寒山詩闡提記聞 3巻(カンザンシ センダイ キモン) . %C 請求記号:鴎E45:2480 %C 注記:書入頁の一部(メモのみ) %C 伝説的な僧侶、寒山の詩に、江戸中期の禅僧白隠慧鶴《はくいんえかく》が註を加えた書。闡提《せんだい》は白隠の号である。本文に付された夥しい量の書き入れのほとんどは、いわゆる朱引(しゅびき)であり、鴎外の筆かどうか、判別しがたい。 鴎外が浅草の文淵閣浅倉屋で入手したと思われる本書には4枚の自筆メモが挟まれている。メモは『制度通』などに拠った中国の官制、地理に関する覚書であり、断片的に記された情報の多くが、鴎外の小説『寒山拾得』本文と一致する。本書に収める「三隠詩集」は美術の分野でも寒山・拾得を描く際の資料となってきたが、これらのメモから、鴎外が資料として本書を参照した可能性が指摘されている。(多) %C 関連作品: 『寒山拾得』(全集16巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card679.html %C 参考文献: 古田島洋介「「寒山拾得」新注」(『比較文学研究』42号,1982年11月) %T 安永騒壇(アンエイ ソウダン) / 源高湛稿. [写本] %C 請求記号:鴎H20:173 %C 注記:全頁 %C 近世中期の漢学者、漢詩人の名字や号、出自を記した鴎外自筆のノート。典拠資料として、『日本詩選』、『日本咏物詩』、『徂徠集』、『日本詩史』、『南郭集』、『古学先生集』、『儒林姓名録』などの名が巻頭に掲げられている。識語に「大正丁巳孟夏 源高湛稿」とあり、大正6年(1917)4月、56歳の時の制作と分かる。(合) %T 情史類畧 24卷(ジョウシ ルイリャク) / (明)詹詹外史評輯. %C 請求記号:鴎E46:148 %C 注記:書入頁の一部(文字書入の一部) %C 明末の小説家・著作家、馮夢龍≪ふうぼうりゅう≫による、文言体説話集。「情」の概念を「情貞」「情侠」など24に分類した上、それぞれ関連する逸話を収録した書である。 書入れは墨筆と朱筆の二種類。序文の本文脇に「余殊有此感」などと書添えている書入れは、別筆であるようにも見える。朱筆・墨筆の時間的前後関係は明らかでないが、いずれも感想や類話、出典を記すものである。 感想は人物評、物語構成への言及など、多岐にわたっている。本資料によって、鴎外の中国小説受容はかなりの程度明らかになるといえよう。小青の話など、広く知られた逸話への感想はもちろんのこと、天台郭氏の話(巻一)には恋塚説話を類話に挙げ、陳玄超(巻五)を評して「表素裏華、直是江戸児気象」と記すなど、日本と比較する書入れがあることも興味深い。(多) %C 参考文献: 前田愛「鴎外の中国小説趣味」(『言語と文芸』38号,1965年1月) %T 陸氏草木鳥獸蟲魚疏圖解 4巻附録1巻(リクシ ソウモク チョウジュウ チュウギョ ソ ズカイ) / 淵在寛述. %C 請求記号:鴎B60:1193 %C 注記:書入頁 %C 呉の陸璣の著『毛詩草木鳥獣虫魚疏』に、近世中期の漢学者淵景山が、図と注解を付けたもの。鴎外自らが製本を行っており、「詩疏図解」と記された自筆の題簽や、独特の茶表紙が付されている。随所に見られる朱筆の注記は、鴎外以外の人物の手になる可能性が高いが、こうした別筆の書入れについても、化粧裁ちなどの際、頁上辺の紙を余分に残すなどして、それが失われないように工夫していることに注意すべきであろう。書入れを含めて、本書が鴎外の学問的関心に適う資料であったと推測できる。なお、この『陸氏草木鳥獣虫魚疏図解』は、『帝室博物館書目解題』にも取り上げられている。(合) %C 関連作品: 『帝室博物館書目解題』(全集20巻) %T 近世名家小品文鈔(キンセイ メイカ ショウヒン ブンショウ) / 土屋榮編. %C 請求記号:鴎E44:384 %C 注記:書入頁 %C 近世末期の漢詩文アンソロジー。「序」、「論著」、「題跋」、「贊銘」、「雑著」など12項目にわたって各家の文章を収める。 鴎外の墨筆書入は少なくとも二度にわたって行われていることが川北温山「送松本実甫」の部分に明らかであり、さらに朱筆による書き入れも存在する。先の筆はやや粗い筆跡で、「可愛」、「使読者絶倒」など初学者の感想めいたものが多い。後筆にあたる部分では斎藤拙堂「拙堂文話」などをもとに本文の記事を補筆し、また各分類項目の末尾に自らの選んだ詩文を挿入している。下巻には朱筆による圏点・読点、さらに頼山陽の川北温山評がある。何度か繰り返して読まれた形跡のある本書には、鴎外の読書行動が変化して行くさまを窺うことができよう。(多) %T 蘭軒著述目録(ランケン チョジュツ モクロク) . [写本] %C 請求記号:鴎A10:177 %C 注記:全頁 %C 鴎外の作成した伊沢蘭軒の著書目録。『伊沢蘭軒』の資料となった。伊沢信階輯『医範』や惟宗時俊撰『医家千字文註』、伊沢信恬撰『諸書鈔録』など、蘭軒の手鈔本の類も識語とともに録されており、柏軒(蘭軒次男)の著述2点も含まれている。(出) %C 関連作品: 『伊沢蘭軒』(全集17巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html %C 参考文献: 坂本秀次「「鴎外文庫」目録抄(第十八回)〜岡野蔵本『目録』「和漢書之部」より〜」(『鴎外』43号,1988年7月) %C 参考文献: 小川康子「森鴎外史伝資料翻刻-『蘭軒著述目録』(一)-」(『近代文学注釈と批評』6号,2007年3月) %C 翻刻: 小川康子「森鴎外史伝資料翻刻-『蘭軒著述目録』(一)-」(『近代文学注釈と批評』6号,2007年3月) %C 翻刻: 小川康子「森鴎外史伝資料翻刻-『蘭軒著述目録』(二)-」(『近代文学注釈と批評』7号,2009年3月) %T 名家年表(メイカ ネンピョウ) / 川喜多真彦著. [写本] %C 請求記号:鴎G20:95 %C 注記:全頁 %C 川喜多真一郎(真彦)編『名家年表』を鴎外が抄写したもの。『名家年表』は、安政3年(1856)と文久2年(1862)に刊行された版があるが、鴎外自筆の識語によれば、彼は文久2年版を用いたようである。慶長4年(1599)から安政元年(1855)に至る、国学者・歌人を中心とする名家の生没や著作刊行に関する年表である。 朱点・朱筆の書入れから、特に契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤、橘守部といった国学者の来歴、国史の刊行等に対する注意関心が窺える。(目) %T Beilage zur Allgemeinen Zeitung . %C 請求記号:鴎ZA:B422 %C 注記:書入頁 %C 日刊紙『アルゲマイネ・ツァイトゥング』“Allgemeine Zeitung”の付録“Beilage zur Allgemeinen Zeitung”“Zweite Beilage zur Allegemeinen Zeitung”のスクラップ2冊。有名な鴎外・ナウマン論争の舞台となった新聞を鴎外自身がスクラップしたものと推定される。 1冊は論争の端緒となったナウマンの日本論 Land und Volk der japanischen Inselkette が掲載された1886年6月26日 (Nr. 175)、29日 (Nr. 178)、およびナウマン講演の報告記事が掲載された同年6月30日(Nr. 179) を収め、もう1冊は鴎外のナウマンへの反論 Die Wahrheit über Nipon (原題)が掲載された12月29日(Nr. 360)を含め1886年12月16日 (Nr. 348) から31日 (Nr. 362)の期間の記事をほぼ毎日分収録。2冊目は鴎外自筆の目次、鴎外蔵書印を含む。 『独逸日記』には、12月17日付記事に、鴎外のミュンヘンでの医学の師ペッテンコーフェルの紹介状を持って『アルゲマイネ』の編集者ブラウンと面会し、「十四日内には君の文を掲載する好機会あらん」と言われたとある。2冊目のスクラップが2週間という短い期間に集中し、記事の内容によって選別した跡が見られないことを考えると、鴎外がこの時期自らの勉強のために『アルゲマイネ』を継続的にスクラップしていたというよりは、鴎外が自らの記事を『アルゲマイネ』編集者に手渡してから記事が実際に掲載されるまでの間『アルゲマイネ』を収集し、記念としてスクラップしたと考えるほうが自然だと思われる。ちなみに2冊目のスクラップで欠けているのは、日曜日以外では12月20日(月)、12月21日(火)のみであり、『独逸日記』において、鴎外がミュンヘン郊外のハイドハウゼンの酪農工場に見学に外出していた日付に呼応する。(河) %C 関連作品: 『独逸日記』(全集34巻) %C 関連作品: “Die Wahrheit ueber Japan”(全集26巻) %C 参考文献: 藤元直樹「鴎外・ナウマン論争再考−東京大学総合図書館蔵[鴎外手択「鴎外・ナウマン論争」紙集]発見を契機として」(『鴎外』87号,2010年7月) %C 参考文献: %T 游豆小志(ユウトウ ショウシ) / 松崎復著. [写本] %C 請求記号:鴎E44:377 %C 注記:全頁 %C 近世後期の儒学者松崎慊堂が、文化元年(1804)4月から5月にかけて伊豆に赴いた際の紀行文。「行記」「游記」「帰記」の三部と、要所で詠んだ漢詩から成る。『伊沢蘭軒』『北條霞亭』の資料となった、渋江保筆写の慊堂関係資料の一冊。文政元年(1818)に書かれた『游東陬録』(鴎E44:379)と共に「慊堂文鈔」の内題が付されており、刊本(刊行年不明)から筆写されたことが分かる。(目) %C 関連作品: 『伊沢蘭軒』(全集17巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2084.html %C 関連作品: 『北条霞亭』(全集18巻) %C 翻刻: 『松崎慊堂全集』冬至書房,1988年