%T Fragment of an Address to the Jews %A Shelley,, Percy, Bysshe %C 請求記号/Call Number:A100:1590 %C 一般注記/Note:also known as "On Zionism" and "Restoration of the Jews" %C A title of General Library's card catalog: [A manuscript, written in his own hand] %C The third image is a transmitted light photograph to capture the watermark. According to Professor Nora Crook, a dolphin with the letters "ANT.FORTI C." is depicted. %T Two letters by Richard Garnett to Rinkichi Tsuchii. Letter 1 %A Garnett,, Richard %C 請求記号/Call Number:A100:1590 %T Two letters by Richard Garnett to Rinkichi Tsuchii. Letter 2 %A Garnett,, Richard %C 請求記号/Call Number:A100:1590 %T 松乃栄 %A 三代目歌川国貞 %C 「松乃栄(まつのさかえ)」は「旧幕府の姫君加州へ御輿入の図」という副題を持つ資料で、総合図書館に貴重書として所蔵されています。この資料は、文政10(1827)年に徳川第11代将軍家斉の第21女・溶姫が加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れしたときの様子を、三代目歌川国貞が想像を交えて描いた錦絵です。東京大学のシンボルの一つである「赤門」は、このとき溶姫を迎えるため建立されたもので、白無垢の花嫁衣裳に身を包んだ溶姫が、豪奢な行列を従えて赤門をくぐる図は当時の華やかさを今に伝えています。もっとも、この資料は明治22年に描かれたもので、明治22(1889)年は家康が江戸へ入府した天正18(1590)年から数えて三百年に当たり、東京開市三百年祭が営まれた年であったため、溶姫の輿入れが描かれたと考えられます。東京大学にとっては、赤門の由来を伝える貴重な絵画史料と言えます。 【請求記号 A00:6569】 %T 写真帖『東京帝國大學』明治33年(1900)年版 %A 東京帝国大学 %I 東京 : 小川冩眞製版所 %C 請求記号:K40:1771 %C 登録番号:0011714474 %C 書誌ID/NCID:2000844633/BN11816230 %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 写真帖『東京帝國大學』明治37年(1904)年版 %I Tokyo : K. Ogawa %C 請求記号:K400:257 %C 登録番号:0004021663 %C 書誌ID/NCID:2001912678/BA1640866X %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 紀州熊野浦諸鯨之圖 %C 請求記号:A00:5852 %C 一般注記:写本本帖は三部から成る 一部末尾に「享保八卯年御尋ニ付紀州熊野浦二分口役所ニおいて吟味之上書付指上候魚之圖 干時享保十五歳戌初夏寫之」とあり 二部冒頭に「以下は製装の際、加ふるものなり。明治十五年十二月」とあり 二部末尾に「文政元年初秋三日伊嶋漁夫網海獲之」とあり 三部冒頭に「以下捕鯨無記名の一巻なり」とあり %C 解説:(享保八年)紀州熊野浦諸鯨之圖 (きしゅうくまのうらしょげいのず) %C 本書は、一帖の中に内容・紙質が異なる三種の資料が見られる。また資料の継ぎ目には、それぞれ旧蔵者田中芳男氏の筆とみられる付箋があることから、恐らく巻子などの体裁で別々に存在した以下1~3の資料を氏が合冊し折本として製本したものと思われるが、資料相互の関係性は不明である。 1.末尾に「享保八年卯年御尋に付紀州熊野浦二分口役所において吟味之上書指上げ候魚之図 干時享保十五歳戌初夏写之」との識語があるため、これが折本の題箋が指す『紀州熊野浦諸鯨之圖』に相当すると思われる。資料には鯨のほか、サメ、イルカ、マンボウまで紹介されている。このように魚の種類が多岐にわたるのは、江戸期の紀州の捕鯨図にみられる特徴でもあるようだ。 2.「以下は製装の際、加ふるものなり。明治十五年十二月」という氏の付箋に続き、エイが2点描かれている。末尾には「文政元年初秋三日伊嶋漁夫網海獲之」と読める識語が見える。 3.「以下捕鯨 無記名の一巻なりし」との付箋に続き、捕鯨の様子が描かれている。巨大な鯨と対峙する漁夫達の姿は勇壮である。 【貴重書 A00:5852】 [田中文庫] %C 文庫区分:田中文庫 %T 百鬼夜行図 %C 解説: 百鬼夜行図(ひやつきやぎうず) 蔭山源広迢写 百鬼夜行は今昔物語などの説話にでてくる言葉で、京の大路を夜な夜な化け物たちが練り歩く様子を表している。 室町時代(16世紀)になって、青鬼、赤鬼のほか琴や琵琶、鍋や釜などの器物、調度などが変化(へんげ)した付喪神(つくもがみ)と呼ばれる化け物を集めて連続的に描く「百鬼夜行絵巻」が登場し、数多くの絵巻が描かれた。 なかでも京都・大徳寺真珠庵の絵巻は、「百鬼夜行絵巻」最古のものとされ、その源流といわれている。 現在、現存しているもののほとんどは江戸時代に模写されたものであり、本絵巻もその一つである。 奥書によれば、室町時代の画家土佐行秀の画を蔭山源広迢が写したもので、真珠庵本に登場する妖怪に加え「ぬっぺっぽう」、「どうもこうも」など江戸時代の妖怪たちも紛れ込んでいる。 絵巻の巻末は「火の玉」と「朝日」で終わる2パターンあるが、本巻は「朝日」で終わっている。(請求記号A00:6275)