%T 救世主像 %C 請求記号:A100:1649 %C 説明:左手に十字架のついた珠を持ち、右手で祝福を与えるキリスト像は、礼拝用聖画として代表的な図像の一つです。この像はアントワープで刊行された銅版画をもとに、銅板に油絵具で描かれました。画面右下に「IS 97」と記されていることから、「IS」を「15」と解釈し、1597年に描かれたとする説があります。 当時の日本ではキリスト教の布教をすすめたイエズス会によって、西洋流の絵画教育が行われていました。この像も裏面に「Sacam. Iacobus」と書き込まれていることから、ヤコブ丹羽(丹羽ジャコベ)が宣教師ジョバンニ・ニコラオの指導を受けて描いたものと推測されています。(2020.07)2019年度東京大学デジタルアーカイブズ構築事業により再撮影を行い、従来の公開画像とあわせて、より高精細な画像も公開しました。 %T 松乃栄 %A 三代目歌川国貞 %C 「松乃栄(まつのさかえ)」は「旧幕府の姫君加州へ御輿入の図」という副題を持つ資料で、総合図書館に貴重書として所蔵されています。この資料は、文政10(1827)年に徳川第11代将軍家斉の第21女・溶姫が加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れしたときの様子を、三代目歌川国貞が想像を交えて描いた錦絵です。東京大学のシンボルの一つである「赤門」は、このとき溶姫を迎えるため建立されたもので、白無垢の花嫁衣裳に身を包んだ溶姫が、豪奢な行列を従えて赤門をくぐる図は当時の華やかさを今に伝えています。もっとも、この資料は明治22年に描かれたもので、明治22(1889)年は家康が江戸へ入府した天正18(1590)年から数えて三百年に当たり、東京開市三百年祭が営まれた年であったため、溶姫の輿入れが描かれたと考えられます。東京大学にとっては、赤門の由来を伝える貴重な絵画史料と言えます。 【請求記号 A00:6569】 %T 写真帖『東京帝國大學』明治33年(1900)年版 %A 東京帝国大学 %I 東京 : 小川冩眞製版所 %C 請求記号:K40:1771 %C 登録番号:0011714474 %C 書誌ID/NCID:2000844633/BN11816230 %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 写真帖『東京帝國大學』明治37年(1904)年版 %I Tokyo : K. Ogawa %C 請求記号:K400:257 %C 登録番号:0004021663 %C 書誌ID/NCID:2001912678/BA1640866X %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。"