%T [天明三年浅間山噴火] %I 手書き/彩色 %C 1783 %C 内容分類: 災害 %C 印刷分類: その他 %C 資料番号: I-08-008 %C サブコレクション: 石本コレクションI %C 解説: 浅間山天明噴火(一七八三年)は旧暦七月に噴火のクライマックスを迎える。この噴火によって浅間山麓南側すなわち軽井沢、小諸方面に激しい降灰被害がもたらされ、北麓では火砕流が発生して鎌原村一村全体が呑み込まれ、村人五百人が犠牲となった。吾妻川へ流れ込んだ火砕流は熱泥流となって利根川の合流点まで約一時間で流下し、田畑や家を押し流し、多数の死者を出した。さらには利根川へ押し流れた泥流に運ばれた死体が隅田川河口まで流れ着いた。利根川はこの泥流の堆積によって三年後天明六年(一七八六)には流域が大洪水にさらされた。浅間山天明噴火は、冷夏による凶作の被害を一層深刻化させ、世に天明の飢饉と呼ばれる社会的危機を促進する要因となった。この噴火はそうした社会的状況下にあったためか、この頃より、災害などの社会的事件がかわら版で報じられるようになった。その意味で、この一枚は災害史の上では象徴的な意味を持つものである。この資料は「聞書」と明記されているが、噴火の被害に関する情報は信頼できる内容である。また、降灰範囲についても広く情報を集めていて、実際に被害を見た人物というよりは、飛脚問屋などの情報通によるものと考えることもできるだろう。【北原糸子】