%T 翻譯引痘新法全書 2巻 坤 %A 小山, 肆成 %I 出雲寺萬次郎 %I 山城屋佐兵衞 %I 岡田屋嘉七 %I 須原屋伊八 %I 須原屋茂兵衞 %C 1849 %C 請求記号: HR:76 %C 序の書名: 引痘新法全書附録 %C 序の書名: 翻譯引痘全書 %C 序、見返し及び題簽の書名: 引痘新法全書附録 %C 巻次は題簽による %C 刊記に「平安 東風館藏板」とあり %C 版心下部に「東風館」とあり %C 乾の巻末に「引痘不再染論」を附す %C 坤の巻末に「引痘宜用國産論」を附す %C 印記: 「今田元達藏書」 %T 翻譯引痘新法全書 2巻 乾 %A 小山, 肆成 %I 出雲寺萬次郎 %I 山城屋佐兵衞 %I 岡田屋嘉七 %I 須原屋伊八 %I 須原屋茂兵衞 %C 1849 %C 請求記号: HR:76 %C 序の書名: 引痘新法全書附録 %C 序の書名: 翻譯引痘全書 %C 序、見返し及び題簽の書名: 引痘新法全書附録 %C 巻次は題簽による %C 刊記に「平安 東風館藏板」とあり %C 版心下部に「東風館」とあり %C 乾の巻末に「引痘不再染論」を附す %C 坤の巻末に「引痘宜用國産論」を附す %C 印記: 「今田元達藏書」 %T (西澤文庫)伝奇作書拾遺 / 西沢一鳳編 %C 1849 %C 成立時:嘉永二年 %C 書題簽:「西澤文庫傳寄作書拾遺」 %C 原本は写本 %C 分類:雑書 %C 請求記号:E22:776:1051 %C A00:霞亭:1051 %T おとしばなし一口茄子 %C 1849 %C 刊年: [嘉永二年] %C 分類:咄本 %C 請求記号:E22:776:568 %C A00:霞亭:568 %T 牛痘發蒙 %A 桑田立斎 %C 1849 %C 請求記号: HR:51 %C 資料解説: 著者の桑田立斎(和、1811-1868)は、江戸・深川の町医者で、幼科(現在の小児科)に長けていた。人痘種痘をおこなっていた先代のあとを継ぎ、数万の童子に、牛痘の種痘をおこなった。安政4(1857)年には、幕命をおびて蝦夷地にわたり、アイヌの民にも種痘をほどこしている。この「牛痘發蒙」は、世人に対して、牛痘への誤った見方を正し、種痘の効果を説くために編まれた啓蒙書で、とくに扉絵は有名。牛痘菩薩が、牛に疱瘡を踏みつけさせ、童子に救いの手をさしのべている様が描かれている。立斎は、こうした図像を描いた一枚刷りも世に配布し、牛痘種痘の普及につとめた。本学医学部は、安政5(1858)年設立の「お玉が池種痘所」に端を発しているが、著者の桑田立斎は、同種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちのひとりである。その意味でも、立斎の代表的著書である本書が、本館に収蔵されている意義は大きい %T 大學啓蒙抄 / 好華堂主人註解 ; 松川半山図画 %A 好華堂主人註解 %A 松川半山図画 %I 越後屋治兵衛 %C 京 %C 1849 %C 備考: 書名は序による %C 原本請求記号: P828 %T 佛説孝子經和解 ; (上)(下) / 僧純 %A 僧純 %I 永田調兵衛 %C 京都 %C 1849 %C 分類: 仏教 %C 成立年: 嘉永2 %C 原本請求記号: P768 %T 商賣往來 %I 北條忠兵衛 %C 羽州山形 %C 1849 %C 分類: 往来物 %C 原本請求記号: P868 %T 百人一首女訓抄 / 山田常典校 %A 山田常典校 %I 本屋又助 %C 東都 %C 1849 %C 分類: 和歌注釈 %C 成立年: 嘉永元序 %C 原本請求記号: P845