%T 直江状 %C 【解題】直江状(東京大学総合図書館所蔵承応三年刊本) 安土桃山時代から江戸時代前期の大名上杉景勝に仕えた重臣直江兼続(1560~1619)が記したとされる書状を、承応3年(1654)に京都の中村五郎右衛門が刊行したもの。全28丁からなる和装本で、大きさは26.5×17.6cm、総合図書館の貴重書に指定されている(請求番号A00:4631)。藻類学者・水産学者であった岡村金太郎(1867~1935)が収集した往来物とよばれる書簡文体の初等教科書・手本類のなかの1点であり、そのコレクションは関東大震災後の大正14年(1925)に購入・登録され、岡村文庫と称されている。 内容は、徳川家康への謀反の疑いをかけられた上杉景勝が上洛・弁明を求められたのに対し、上洛の困難な理由、家康への逆心のないこと、讒言を用いるべきではないこと等、直江兼続が反論を加えたもの。家康のブレーンであった京都の臨済宗豊光寺の僧・西笑承兌に宛てた、慶長5年(1600)4月14日付けの返書の形を取っている。 「直江状」は、同年の関が原の戦へとつながる家康の会津上杉攻めの口実を作ったとして従来から注目されてきた。一方で、原本が未確認であり、古文書集に収録された写本や総合図書館所蔵本のように版本として流布してきたこともあり、その表記法や内容等から歴史的資料としての信憑性を疑う説も提出されている。少なくとも総合図書館所蔵本の性格を考える上では、かつて往来物として収集されたことに留意しておいてよいだろう。 %T 紀州熊野浦諸鯨之圖 %C 請求記号:A00:5852 %C 一般注記:写本本帖は三部から成る 一部末尾に「享保八卯年御尋ニ付紀州熊野浦二分口役所ニおいて吟味之上書付指上候魚之圖 干時享保十五歳戌初夏寫之」とあり 二部冒頭に「以下は製装の際、加ふるものなり。明治十五年十二月」とあり 二部末尾に「文政元年初秋三日伊嶋漁夫網海獲之」とあり 三部冒頭に「以下捕鯨無記名の一巻なり」とあり %C 解説:(享保八年)紀州熊野浦諸鯨之圖 (きしゅうくまのうらしょげいのず) %C 本書は、一帖の中に内容・紙質が異なる三種の資料が見られる。また資料の継ぎ目には、それぞれ旧蔵者田中芳男氏の筆とみられる付箋があることから、恐らく巻子などの体裁で別々に存在した以下1~3の資料を氏が合冊し折本として製本したものと思われるが、資料相互の関係性は不明である。 1.末尾に「享保八年卯年御尋に付紀州熊野浦二分口役所において吟味之上書指上げ候魚之図 干時享保十五歳戌初夏写之」との識語があるため、これが折本の題箋が指す『紀州熊野浦諸鯨之圖』に相当すると思われる。資料には鯨のほか、サメ、イルカ、マンボウまで紹介されている。このように魚の種類が多岐にわたるのは、江戸期の紀州の捕鯨図にみられる特徴でもあるようだ。 2.「以下は製装の際、加ふるものなり。明治十五年十二月」という氏の付箋に続き、エイが2点描かれている。末尾には「文政元年初秋三日伊嶋漁夫網海獲之」と読める識語が見える。 3.「以下捕鯨 無記名の一巻なりし」との付箋に続き、捕鯨の様子が描かれている。巨大な鯨と対峙する漁夫達の姿は勇壮である。 【貴重書 A00:5852】 [田中文庫] %C 文庫区分:田中文庫 %T 百鬼夜行図 %C 解説: 百鬼夜行図(ひやつきやぎうず) 蔭山源広迢写 百鬼夜行は今昔物語などの説話にでてくる言葉で、京の大路を夜な夜な化け物たちが練り歩く様子を表している。 室町時代(16世紀)になって、青鬼、赤鬼のほか琴や琵琶、鍋や釜などの器物、調度などが変化(へんげ)した付喪神(つくもがみ)と呼ばれる化け物を集めて連続的に描く「百鬼夜行絵巻」が登場し、数多くの絵巻が描かれた。 なかでも京都・大徳寺真珠庵の絵巻は、「百鬼夜行絵巻」最古のものとされ、その源流といわれている。 現在、現存しているもののほとんどは江戸時代に模写されたものであり、本絵巻もその一つである。 奥書によれば、室町時代の画家土佐行秀の画を蔭山源広迢が写したもので、真珠庵本に登場する妖怪に加え「ぬっぺっぽう」、「どうもこうも」など江戸時代の妖怪たちも紛れ込んでいる。 絵巻の巻末は「火の玉」と「朝日」で終わる2パターンあるが、本巻は「朝日」で終わっている。(請求記号A00:6275)