%T 水野家古文書(水野忠幹氏旧蔵書文書) %C 水野家古文書(水野忠幹氏旧蔵書文書)概要 本文書は、紀州徳川家の附家老であった水野家が所蔵していた古文書類で、太政官牒二紙、複数の古文書を表装した巻子三軸からなる。 これらは明治33(1900)年に、水野家第十代当主忠幹(ただもと)から南葵文庫に寄贈されたものである。関東大震災の後、南葵文庫の蔵書は東京帝国大学へと寄贈されるが、本文書は未整理のまま留め置かれていた。このたび調査が行われ、東京大学総合図書館はこの5点を貴重図書に指定した。 解題 【太政官牒について】(A00:6584) 【古文書巻子三軸について】(A00:6585) 富田正弘(富山大学名誉教授) 小島浩之(東京大学大学院経済学研究科講師) %T 写真帖『東京帝國大學』明治33年(1900)年版 %A 東京帝国大学 %I 東京 : 小川冩眞製版所 %C 請求記号:K40:1771 %C 登録番号:0011714474 %C 書誌ID/NCID:2000844633/BN11816230 %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 写真帖『東京帝國大學』明治37年(1904)年版 %I Tokyo : K. Ogawa %C 請求記号:K400:257 %C 登録番号:0004021663 %C 書誌ID/NCID:2001912678/BA1640866X %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 百鬼夜行図 %C 解説: 百鬼夜行図(ひやつきやぎうず) 蔭山源広迢写 百鬼夜行は今昔物語などの説話にでてくる言葉で、京の大路を夜な夜な化け物たちが練り歩く様子を表している。 室町時代(16世紀)になって、青鬼、赤鬼のほか琴や琵琶、鍋や釜などの器物、調度などが変化(へんげ)した付喪神(つくもがみ)と呼ばれる化け物を集めて連続的に描く「百鬼夜行絵巻」が登場し、数多くの絵巻が描かれた。 なかでも京都・大徳寺真珠庵の絵巻は、「百鬼夜行絵巻」最古のものとされ、その源流といわれている。 現在、現存しているもののほとんどは江戸時代に模写されたものであり、本絵巻もその一つである。 奥書によれば、室町時代の画家土佐行秀の画を蔭山源広迢が写したもので、真珠庵本に登場する妖怪に加え「ぬっぺっぽう」、「どうもこうも」など江戸時代の妖怪たちも紛れ込んでいる。 絵巻の巻末は「火の玉」と「朝日」で終わる2パターンあるが、本巻は「朝日」で終わっている。(請求記号A00:6275)