%T 重訂解體新書銅版全図 %A 中伊三郎, 図版 %A 大槻玄沢, 重訂 %A 杉田玄白, 等訳 %C 1843 %C 請求記号: HR:92 %C 資料解説: 「 重訂解體新書 」の図版。中伊三郎は江戸後期の銅板画家。 %T 医療正始 18巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 19巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 20巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 21巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 17巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 11巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 12巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 13巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 14巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 15巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 16巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 8巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 9巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 10巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 3巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 4巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 5巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 6巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。 %T 医療正始 7巻 %A 伊東玄朴, 重訳 %A 毘斯骨夫(ビショップ/ビスコフ)著 %A 越而実幾(エルジッキ)訳 %C 1835 %C 請求記号: HR:78 %C 資料解説: Bischoff (独 1784-1850) 著の内科書(オランダ語訳版)を伊東玄朴が翻訳したもの、全24巻。訳者の伊東玄朴は長崎でシーボルトに学び、お玉ヶ池種痘所設立のために拠金した83名の蘭方医のうちの一人。文久2年より、西洋医学所(種痘所の改称)の取締を務めた。 83名の蘭方医には、箕作阮甫、大槻俊斎、三宅艮斎、桑田立斎 などがいる。