%T クジラ肩甲骨製?骨角器出土状況 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 141 %C webコンテンツカテゴリ: 8 %C 画像の解説: 出土位置等の詳細は不明。『モヨロ遺跡と考古学』の7号竪穴の記述(p.123)に、「竪穴の入口の左によった床の面に附着して、鯨の骨の板がおかれ」とあるので、それに該当する可能性がある。なお、同様の骨角器は、北見市トコロチャシ跡遺跡オホーツク地点7号竪穴からも出土している。 %C 紙焼き記載の注記: 27 %C アルバム通し番号: 111 %C D番号: D-41 %T キツネ・タヌキの骨の集中 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 142 %C webコンテンツカテゴリ: 8 %C 画像の解説: キツネとタヌキの頭骨の中心とした動物骨の集中。出土位置等の詳細は不明だが、粘土の貼床上に位置してるようにも見える。頭骨の集中であることとあわせて考えると、7号竪穴内もしくは10号竪穴内から出土したものである可能性が最も高いとみられる。 %C アルバム通し番号: 37 %C 箱番号: 9-10 %C D番号: D-65 %T 集合写真(7号竪穴東壁の前にて) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 134 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 7号竪穴の東壁の前で撮影された集合写真。前列右より、中島寿雄、駒井和愛、斉藤忠、名取武光、大場利夫。後列右より、中川成夫、小林知生、米村喜男衛、(不詳)、伊藤昌一、井口大介、田辺義一。なお、『下巻』と『モヨロ貝塚』によれば、この年の調査にはほかに松野正彦が加わっていたとされているので、不詳の人物は松野である可能性が高い。名取が手にしている土器は、No.28の7号竪穴出土土器とみられる。なお、人物の特定においては、『琅玕』(駒井和愛著、駒井和愛博士記念会、1977年)の口絵に掲載されている、同時期のモヨロ貝塚にて撮影された集合写真を参照した。 %C 紙焼き記載の注記: No.12 紀念撮影 竪穴第七号東壁前ニテ %C アルバム通し番号: 106 %C 箱番号: 11-3 %C D番号: D-101 %T 集合写真(7号竪穴東壁の前にて) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 135 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 7号竪穴の東壁の前で撮影された集合写真。手前に炉址が写っており、No.134より後に撮影された可能性が高い。前列右より、名取武光、米村喜男衛、原田淑人、児玉作左衞門、伊藤昌一。後列右より、田辺義一、井口大介、駒井和愛、中川成夫、小林知生、中島寿雄、大場利夫、(不詳)。No.134と同様、不詳の人物は松野正彦である可能性が高い。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図16 %C アルバム通し番号: 107 %C 箱番号: 11-9 %C D番号: D-102 %T 集合写真(モヨロ貝塚近辺の海岸にて) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 136 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: モヨロ貝塚近辺の海岸で撮影された集合写真。背後に帽子岩が見える。おそらくNo.135と近い時期に撮影されたものとみられる。前列右より、名取武光、伊藤昌一、原田淑人、駒井和愛、大場利夫。後列右より、田辺義一、中川成夫、小林知生、中島寿雄、井口大介。 %C アルバム通し番号: 90 %C 箱番号: 14-1 %C D番号: D-89 %T オホーツク墓 (番号不明その1) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 103 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 昭和22年または23年発掘のオホーツク墓とみられるが、人骨番号は不明。人骨の遺存状態の良さから判断すると、12号(老年男性)の可能性が考えられる。 %C アルバム通し番号: 59 %C 箱番号: 16-5 %C D番号: D-78 %T オホーツク墓 (番号不明その1) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 104 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: No.103の別の構図。昭和22年または23年発掘のオホーツク墓とみられるが、人骨番号は不明。人骨の遺存状態の良さから判断すると、12号(老年男性)の可能性が考えられる。 %C アルバム通し番号: 60 %C 箱番号: 16-6 %C D番号: D-79 %T オホーツク墓 (番号不明その2) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 105 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 昭和22年または23年発掘のオホーツク墓とみられるが、人骨番号は不明。写真から判断すると木槨を有しているとみられるが、その点からすると17号・18号・23号・27号のいずれかである可能性が考えられる。 %C アルバム通し番号: 97 %C 箱番号: 14-8 %C D番号: D-96 %T オホーツク墓 (番号不明その3) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 106 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 昭和22年または23年発掘のオホーツク墓とみられるが、人骨番号は不明。貝層中または貝層の下縁につくられた、被甕なしの墓で、発掘区の壁際に位置するように見えるが、該当する墓がない。発掘区の壁際にあるように見える点からすると、貝塚トレンチC区域の24号墓・25号墓・26号墓・27号墓のいずれかに該当する可能性がある。 %C アルバム通し番号: 99 %C 箱番号: 14-10 %C D番号: D-98 %T オホーツク墓 (番号不明その4) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 107 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 昭和22年または23年発掘のオホーツク墓とみられるが、人骨番号は不明。遺体は小児とみられ、被甕。被甕土器は、口縁部は無文で肥厚帯なし、肩部に貼付文を有しており、熊木編年(2018)では沈線文期後半に相当する。『下巻』別篇p.54第1表において、貼付文の副葬土器を伴う墓には該当する例がない。その点からすると、この第1表に掲載されていない28号もしくは29号に該当する可能性がある。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図26 %C アルバム通し番号: 54 %C 箱番号: 16-2 %C D番号: D-75 %T オホーツク墓 13号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 87 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 老年。被甕(刻文系土器)、木槨墓。No.86から発掘を進め、木槨を検出したところ。被甕土器は口縁部に刻文系文様(爪形文か?)を有していることが確認できる。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図25④ %C アルバム通し番号: 7 %C D番号: D-03 %T オホーツク墓 11号(奥)、13号(手前) %C 1947 %C webコンテンツ番号: 88 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 11号(写真では奥)は成年男性、被甕(刻文系土器)、木槨墓。No.85とほぼ同時期に撮影されたものとみられる。13号(写真では手前)は老年、被甕(刻文系土器)、木槨墓。No.87とほぼ同時期に撮影されたもの。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.25 Fig.8 『モヨロ貝塚資料集』図版七-1 『北辺の海の民』図25① %C アルバム通し番号: 76 %C D番号: D-36 %T オホーツク墓 11号 葺石 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 79 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 11号(木槨墓)の上部で確認された葺石の検出状況。葺石の長軸は「人骨埋葬の頭位北西と一致」するとされる(『下巻』別篇p.24)。葺石の手前に土器(刻文系土器)が置かれているが、報告では「葺石のほぼ中央部の上面に土器を1個ふせて置いた形跡があるが破損している」(『下巻』同上)とされており、土器を葺石の上から外した状態で撮影した可能性もある。 %C 紙焼き記載の注記: No.39 第十一号石積(3枚ノ中 3) 南ヨリ北ヘ %C アルバム通し番号: 115 %C 箱番号: 11-6 %C D番号: D-105 %T オホーツク墓 11号 葺石 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 80 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 11号(木槨墓)の上部で確認された葺石の検出状況。No.79の別の構図。右手の土器は、口縁部と肩部に刻文系の文様を有する刻文系土器とみられる。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.24 Fig.7-上『北辺の海の民』図25② %C アルバム通し番号: 114 %C D番号: D-43 %T オホーツク墓 11号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 81 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性。被甕(刻文系土器)、木槨墓。木槨の位置を示す線が引かれている。土器の右隣に見えているのは副葬品の「骨篦」か。被甕土器は口縁部に爪形文を有する。 %C 紙焼き記載の注記: No.42 貝塚出土人骨第十一号(3枚中 1) %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.24 Fig.7-下 %C アルバム通し番号: 15 %C D番号: D-05 %T オホーツク墓 11号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 82 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性。No.81とほぼ同じ構図。木槨の位置を示す印が置かれている。 %C アルバム通し番号: 26 %C D番号: D-09 %T オホーツク墓 11号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 83 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性。No.81・82からさらに発掘を進め、被甕土器を外して遺体と木槨を検出した状態。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.25 Fig.7の続 %C アルバム通し番号: 63 %C D番号: D-22 %T オホーツク墓 11号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 84 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性。No.83からわずかに発掘を進めた状態。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図25③ %C アルバム通し番号: 65 %C D番号: D-23 %T オホーツク墓 11号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 85 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性。No.84からさらに発掘を進めた状態とみられるが、No.84とどちらの撮影が先か、判別は難しい。 %C アルバム通し番号: 64 %C 箱番号: 16-7 %C D番号: D-80 %T オホーツク墓 13号 %C 1947 %C webコンテンツ番号: 86 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 老年。被甕(刻文系土器)、木槨墓。木槨の上面を検出したところとみられる。被甕土器の文様はNo.87で確認できる。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.12 Fig.6 %C アルバム通し番号: 62 %C D番号: D-21