%T 集合写真(帽子岩を背にして) %C 1948 %C webコンテンツ番号: 137 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 遺跡近くの海岸にある帽子岩を背にして撮影された集合写真。前列右より、関野雄、小林知生、駒井和愛、佐藤達夫、斉藤忠、名取武光、松田孝(東大理学部学生)。後列右より、曽野寿彦、田中一郎、古河静江、鈴木八司、市川健二郎。なお、この写真は『琅玕』(駒井和愛著、駒井和愛博士記念会、1977年)の口絵に掲載されている。 %C アルバム通し番号: 171 %C 箱番号: 6-3 %C D番号: D-121 %T 集合写真(地元の方々と) %C 1948 %C webコンテンツ番号: 138 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 民家を背に、地元の方々とみられる家族?と一緒に撮影された集合写真。背後に積まれた魚箱とみられる木箱や、森の様子から見て、モヨロ貝塚の近隣で撮影されたものとみられる。人物構成からすると撮影年は昭和23年の可能性が高い。前列右より、名取武光、駒井和愛、(女児A)、小林知生、(男児A)、斉藤忠。後列右より、関野雄、鈴木八司?、(女性A)、(男性A)、(女性B)、(女性Cと乳幼児)。男性Aと女性AはNo.139でも一緒に撮影されている。 %C アルバム通し番号: 42 %C 箱番号: 2-2 %C D番号: D-70 %T 集合写真(地元の方々と) %C 1948 %C webコンテンツ番号: 139 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 民家を背に、地元の方々とみられる家族?と一緒に撮影された集合写真。No.138と同じ人物(同写真の男性Aと女性A)が含まれることから、同じ民家の前で撮影されたものとみられる。撮影年は不明だが、人物構成からすると昭和23年、もしくは26年とみられる。前列右より、(女性D)、(女児B)、(No.138の女性A)、(男児B)、(女性E)、(No.138の男性A)、駒井和愛、斉藤忠。後列右より、曽野寿彦?、(不詳A)、中川成夫?、桜井清彦、田中一郎?、杉勇?、(不詳B)、市川健二郎?。不詳Bの人物は東大の学帽を被っており、東大生とみられる。No.138の女児Aとこの女児B、同男児Aと男児Bは同一人物の可能性がある。 %C アルバム通し番号: 184 %C 箱番号: 5-1 %C D番号: D-131 %T 調査風景と人物写真 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 140 %C webコンテンツカテゴリ: 7 %C 画像の解説: 調査中に撮影されたとみられる人物写真。後列の2名は、服装等から見てNo,139の後列にいる人物2名(杉勇?と田中一郎?)と同一とみられる。よって、撮影年は昭和23年または26年とみられる。撮影場所は、サブトレンチが見える点からするといずれかの竪穴のようにも思われるが、周囲の風景は竪穴周辺とは異なるようである。よって貝塚トレンチの可能性もあるが、いずれにしても不明である。人物は、前列は右より、米村喜男衛、斉藤忠、名取武光、(不詳)。後列は右から田中一郎?、杉勇?とみられる。 %C アルバム通し番号: 118 %C 箱番号: 10-1 %C D番号: D-106 %T アイヌ墓 (米村喜男衛による発掘) %C 1948 %C webコンテンツ番号: 108 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 昭和23年11月に米村喜男衛らの「第十五発掘」によって調査されたアイヌ墓。貝塚トレンチと7号竪穴の間にある道路の表土下5cmで出土したとされる。東頭位の伸展葬で、鉄鍋、小刀、鎌、ガラス玉、透かし彫りのある青銅製円板、寛永通宝などが副葬されていた。調査の詳細は『モヨロ貝塚資料集』pp.24-25を参照。 %C 報告書等の図版番号: 『モヨロ貝塚資料集』図版八-3 %C アルバム通し番号: 89 %C D番号: D-30 %T オホーツク墓 20号の上部で検出された土器・クマ頭骨等 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 95 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: オホーツク墓20号の上部で検出された遺物。中央に土器、その左側に刀子と角製の円形垂飾、さらにその左側に骨斧が認められる。これらの遺物はオホーツク墓20号の埋葬の際に置かれた副葬品と考えられている。土器の右側にはクマの頭骨があり、その周辺では多数の獣骨及び石鏃の未製品が出土したとされる。報告では、クマ頭骨は20号に伴うものではないと判断されているが、時間的な前後関係は不明。土器底部の穿孔は意図的なものか否か不明とされる。土器は口縁部の上下縁に爪形文、肩部に貼付文を有する刻文系土器。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.36 Fig.13-上 『北辺の海の民』図23④ %C アルバム通し番号: 19 %C D番号: D-08 %T オホーツク墓 20号の上部で検出された石組みの炉址 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 96 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: No.95のクマ頭骨の下層25cmのところで検出された石組みの炉址。検出時の撮影で、炉址の全体像はNo.97に記録されている。報告では、炉址が作られた後に貝層が堆積し、その堆積中に20号が作られたとされている。クマ頭骨などは貝層中に含まれていたと想定されており、炉址に伴うとは考えられていない。 %C 紙焼き記載の注記: 30 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.36 Fig.13-中『北辺の海の民』図23⑤ %C アルバム通し番号: 17 %C D番号: D-07 %T オホーツク墓 20号の上部に位置する炉址 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 97 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: No.95のクマ頭骨の下層25cmのところで検出された石組みの炉址で、No.96からさらに発掘を進めたところ。No.55(貝塚トレンチB区域で検出された炉址)の写真右側の炉址の近景が、この写真となる。 %C 紙焼き記載の注記: 33 %C アルバム通し番号: 93 %C 箱番号: 14-4 %C D番号: D-92 %T オホーツク墓 20号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 98 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年女性。No.97からさらに発掘を進めた状態で、遺体と石組みの炉の関係が記録されている。報告では、石組みの炉の一部(遺体側)を破壊して20号が埋葬され、頭骨の上部の位置にNo.95の土器と副葬品が置かれたと判断されている。遺体の頭骨は、No.95の土器の口縁部の約40cm下層で検出されている。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.36 Fig.13-下『モヨロ貝塚資料集』図版七-2 『北辺の海の民』図23⑥ %C アルバム通し番号: 101 %C D番号: D-38 %T オホーツク墓 20号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 99 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年女性。No.98の近景。 %C アルバム通し番号: 102 %C D番号: D-39 %T オホーツク墓 21号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 100 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: オホーツク墓22号(No.102)との位置関係から、21号と判断される。老年男性。『下巻』別篇p.41第1表では被甕とされているが、p.54第1表では出土土器は無文の破片1点とされており、No.100・101の写真から判断しても被甕ではないとみられる。 %C アルバム通し番号: 98 %C 箱番号: 14-9 %C D番号: D-97 %T オホーツク墓 21号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 101 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 老年男性。No.100の近景で、さらに発掘を進めたところ。 %C アルバム通し番号: 181 %C 箱番号: 8-10 %C D番号: D-128 %T オホーツク墓 22号(幼児葬) %C 1948 %C webコンテンツ番号: 102 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 生後半年内外の幼児。仰臥屈葬、南東頭位の遺体の上に植物性の容器を被せ、それを百数十枚のホッキ貝で覆い、さらに周囲を厚さ5cmの砂のかたまりで包んだものと報告されている。『下巻』別篇p.12 Fig.7はこの写真をトリミングしたものと考えられる。写真右側にオホーツク墓21号の発掘終了時の状態が写っている。 %C 紙焼き記載の注記: 47 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.12 Fig.7 『北辺の海の民』図25⑥ %C アルバム通し番号: 8 %C D番号: D-04 %T オホーツク墓 15号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 89 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性、被甕(刻文系土器)。土器は口唇部と口縁部に刻文系文様を有するが、肥厚帯は有さないように見える。熊木編年(2018)では沈線文期前半か。この写真から被甕土器を外したのが『下巻』別篇p.31 Fig.11となる。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図14 %C アルバム通し番号: 167 %C D番号: D-48 %T オホーツク墓 15号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 90 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 成年男性、被甕(刻文系土器)。貝層との関係を撮影したもの。『下巻』PL.77-2はこれをトリミングしたものか。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』PL.77-2 %C アルバム通し番号: 55 %C D番号: D-18 %T オホーツク墓 16号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 91 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 『下巻』別篇pp.28-29の記述(貝層と平石の関係など)から、16号と判断した。小児。墓の上部に葺石を有する。被甕(「刻文+貼付式浮文」)。被甕土器は、胴部に貼付文系文様が確認できるが、口縁部の文様は判別が困難。報告によれば刻文系文様を有するようであり、そうであれば熊木編年(2018)では沈線文期後半の土器に相当か。 %C 紙焼き記載の注記: 16 %C アルバム通し番号: 16 %C D番号: D-06 %T オホーツク墓 16号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 92 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 小児。墓の上部に葺石を有する。被甕(「刻文+貼付式浮文」)。No.91の別の構図。被甕土器の口縁部文様はNo.91と同様に判別が困難。 %C 紙焼き記載の注記: 17 %C アルバム通し番号: 112 %C D番号: D-42 %T オホーツク墓 19号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 93 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 若年。墓の上部に葺石を有する。胸の上付近に倒立土器(被甕か?)。土器の文様はNo.94で確認できる。 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.29 Fig.9 %C アルバム通し番号: 61 %C D番号: D-20 %T オホーツク墓 19号 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 94 %C webコンテンツカテゴリ: 5 %C 画像の解説: 若年。墓の上部に葺石を有する。胸の上付近に倒立土器(被甕か?)。No.93の近景。土器は口縁部に刻文系文様を有し、肥厚帯を持たない土器で、熊木編年(2018)では沈線文期前半となる。 %C 報告書等の図版番号: 『北辺の海の民』図25② %C アルバム通し番号: 100 %C D番号: D-37 %T 貝塚トレンチ B区域 南壁 炉址 %C 1948 %C webコンテンツ番号: 55 %C webコンテンツカテゴリ: 4 %C 画像の解説: 北方向から撮影。トレンチ南壁付近の貝層下で検出された2基の炉址。右手の炉址はオホーツク墓20号の上部に位置しており、この炉址のさらに上部では、倒立土器(刻文系土器)やクマの頭骨、骨角器等が検出されている(No.95・96・97参照)。 %C 紙焼き記載の注記: 31 %C 報告書等の図版番号: 『下巻』別篇p.20 Fig.1-上 %C アルバム通し番号: 92 %C 箱番号: 14-3 %C D番号: D-91