%T 第八 私制韻鑑巻 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第九 私法神書巻上 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第二十四 私法世物語巻 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第二十五 真道哲論巻 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 残巻 断簡 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 大序 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第一 私制字書巻一 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第二 私制字書巻二 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第三 私制字書巻三 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第四 私制儒書巻一 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第五 私制儒書巻二 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第六 私制儒書巻三 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 第七 私制仏書巻 %A 安藤昌益 %C 稿本「自然真営道」は、江戸中期の思想家である安藤昌益(1703~1762)の主著で、昌益独自の思想世界が展開されており、その斬新さは日本思想史において特筆すべきものであるといわれています。(他に、刊本「自然真営道」(三巻三冊)が伝来していますので、このような言い方がされます。) もと百一巻九十三冊からなっていたものを、大正12年(1923)に東京帝国大学附属図書館が購入しましたが、関東大震災によりその大部分が焼失してしまいました。たまたま、貸出されていて焼失を免れた十二巻十二冊が、現在貴重図書として東京大学附属図書館に収蔵されています。 さらに、近年になって稿本の表紙の中から発見された草稿類が、残巻として稿本の一部に収められています。なお、現存する稿本「自然真営道」は、東京大学のほかに慶応義塾大学図書館に三巻三冊(三十五巻~三十七巻)があります。 %T 写真帖『東京帝國大學』明治33年(1900)年版 %A 東京帝国大学 %I 東京 : 小川冩眞製版所 %C 請求記号:K40:1771 %C 登録番号:0011714474 %C 書誌ID/NCID:2000844633/BN11816230 %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。" %T 写真帖『東京帝國大學』明治37年(1904)年版 %I Tokyo : K. Ogawa %C 請求記号:K400:257 %C 登録番号:0004021663 %C 書誌ID/NCID:2001912678/BA1640866X %C 解説:"東京帝國大學 = Imperial University of Tokyo東京 小川冩眞製版所 1900.4-1904.82冊 28×37-38cm [明治33年版] K40:1771 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) [明治37年版] K400:257 東京大学総合図書館書庫(コレクション室) 明治30年代の東京帝国大学を撮影した大判横長の写真帖。明治33(1900)年のものは、フランス・パリの万国博覧会、明治37(1904)年のものは、米国・セントルイスの万国博覧会に出品するために製作された。当時の総長、前総長や部局長、教授たちの肖像と校舎設備の状況を撮影した写真を収録し、序文や見出しなどには英文が併記されている。明治37年版(南葵文庫本)では、明治33年版に比べて、新築校舎や新任教員の肖像写真を加えるなどの増補がなされている。 発行者は、両者ともに明治から昭和初期にかけての著名な写真家であった小川一真(おがわ・かずまさ 1860~1929)の小川写真製版所。小川一真は、明治15(1882)年に渡米して最新の写真技術やコロタイプ印刷術などを習得し、帰国後東京で開業。全国の社寺宝物調査に随行して撮影を行い、明治22(1889)年の東洋・日本美術専門雑誌『国華』の創刊にも携わった。他にも、皇族や皆既日食、濃尾大地震、日清・日露戦争、清朝末期の北京紫禁城の様子などの写真撮影を行っている。"