%T 日本洋學年表(ニホン ヨウガク ネンピョウ) / [大槻修二撰]. [写本] %C 請求記号:鴎G20:94 %C 注記:全頁 %C 文亀元年(1501)から慶応4年(1868)に至る、日本における洋学の由来を整理した大槻修二(如電)著『日本洋学年表』(明治10年)を、鴎外が要略して写したもの。天文台設置・移動の記事や、東京大学医学部の前身である種痘所、及び、同様に後に東京大学となった開成所の変遷についての記事には朱点が付されており、鴎外の関心の在り所を伝える。 特に後者については、日本における洋学の発達と深い関わりのある、自身の出身校の由来を確認する行為でもあっただろう。(目) %T Studien zur Literaturgeschichte / von Karl Rosenkranz. %C 請求記号:鴎A100:1668 %C 注記:書入頁 %C ローゼンクランツ「論文集」(Neue Studien)の第2巻→第1巻 Studien zur Culturgeschichte の解題参照。 %C 関連作品: 『Japan und die Japaner』(全集26巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T Die Sylvester-Glocken / eine Geistergeschichte von Charles Dickens ; aus dem Englischen von Julius Seybt. %C 請求記号:鴎E200:2856 %C 注記:書入頁 %C チャールズ・ジョン・フッファム・ディケンズ『鐘の音・精霊の物語』のドイツ語訳。 鴎外とディケンズとの関わりについては、ほかに、論文『「文学ト自然」ヲ読ム』(全集22巻『文学と自然と』)において、ディケンズの長編小説を「複稗」の例として挙げたことが知られているが、これは、鴎外が直接読んだのではなく、ゴットシャル(C.R.Gottschall)の『詩学』(Poetik、鴎A100:1667)から引いたものであるという。 「種々人物、錯雑叙出、英人小説、多用其法、諷世之文」という、文体についての書入れがある。(河・山) %C 関連作品: 『文学と自然と』(全集22巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T 宗旨雜記(シュウシ ザッキ) / 日乾[著]. %C 請求記号:鴎A00:6455 %C 注記:裏打ち部分の全頁 %C 本資料には、明治32年(1899)から35年(1902)までの小倉赴任期間中、鴎外が母峰子へ宛てた書簡の断片178点が裏打される。1丁に1、2片ずつ貼られるが、裁断され順序も錯綜しているので、そのままでは判読できない。これらの書簡片は柳生四郎によって発見・紹介され、『全集』36巻では、143点(約100通分)が翻刻されたが、残り35点は掲出されていない。復元困難のためと思われるが、未掲出書簡片の中には、息子於莵の勉強方法について示唆を与えたもの(上巻34丁、同44丁)や、新妻茂子を伴い小倉へ戻る様を述べたもの(下巻43丁)が確認でき、鴎外の伝記資料として貴重である。(合・出) %C 参考文献: 川田国芳「森鴎外小倉在任中の母宛書簡の研究-錯簡を主として-」(『鴎外』21・24号,1977年7月・1979年1月) %C 参考文献: 合山林太郎・出口智之「未翻刻森鴎外書翰紹介-東京大学総合図書館鴎外文庫蔵『宗旨雑記』より」(『鴎外』85号,2009年7月) %C 翻刻: 柳生四郎「小倉時代の森鴎外未発表書簡」(『文学』32巻10号,1964年8月) %C 翻刻: 『鴎外全集』第36巻,岩波書店,1975年 %C 翻刻: 合山林太郎・出口智之「未翻刻森鴎外書翰紹介-東京大学総合図書館鴎外文庫蔵『宗旨雑記』より」(『鴎外』85号,2009年7月) %T 華嚴五教章(ケゴン ゴキョウショウ ) . [写本] %C 請求記号:鴎A00:6511 %C 注記:全頁 %C 『華厳五教章』は唐代の華厳宗第3祖、法蔵の著にかかり、華厳宗の教判である五教判をもとに、華厳学の体系を組織した論である。本書は、『華厳五教章』についての何らかの注釈もしくは講義の抄録、あるいは鴎外の自習ノートと考えられ、ドイツ語のメモも散見している。内容は「三国伝来」「本章ノ縁由」「本文」と立項されており、前二者は『華厳五教章』の概論となっている。また、「本文」の項は語句注釈を主とし、多くの図解が挟まれているが、その対象となっているのは『華厳五教章』本文のごく冒頭のみであり、注解の試みとしては中断している。(出) %C 参考文献: 小川宏「「唯識鈔」と「華厳五教章」について」(『図書館の窓 東京大学附属図書館月報』Vol.13, no.4,1974年4月) %T 安政箇勞痢流行記(アンセイ コロリ リュウコウキ) / 金屯道人[著]. %C 請求記号:鴎A00:6578 %C 注記:書入頁 %C 金屯道人(仮名垣魯文)著。安政のコレラ流行の際に、民間で数多く発行された啓蒙的な養生書のうちの代表的なものである。『転寝の夢』(幕末に西洋医学の伝習を行ったポムペ・ファン・メールドルフォールトによるコレラの対策法を記した本)をそのまま収録している。 巻末に「安政虎列刺之行其事多不伝今僅獲此一書可以少考矣明治十二年牽舟居士」という書入れがあり、鴎外による入手が医学部本科2年時であったこと、明治10年代、既に入手困難な本であったことがわかる。論文『Beriberi und Cholera in Japan』(日本における脚気とコレラ)内で、当時江戸で刊行されていたパンフレットとして、注に挙げられている。(山) %C 関連作品: 『Beriberi und Cholera in Japan』(全集28巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T System der Rechtsphilosophie / von Adolf Lasson. %C 請求記号:鴎L510:9 %C 注記:書入頁 %C アドルフ・ラッソン『法哲学体系』。 ラッソンはドイツ観念主義の哲学者として知られ、本書は彼の主著のひとつ。序章の他に、法と秩序、法と実践理性(「実心」)、法と正義、法と自由に関する章など限られた章に書入れ・下線が集中している。 “Eindrücke” [感想]には、 “Die Civilization ruht auf die historische Grundlage ; Vergl. Lasson, Rechtsphilosophie”(「文明は歴史的基礎の上に立つ。ラッソンの法哲学と比較せよ。」)とあるが、これはラッソンからの直接の引用ではなく、ラッソンの序文にあるドイツ等ヨーロッパ諸国の国民性についての議論、あるいはラッソンの歴史的方法論についての議論に関する、鴎外自身による要約であろう。(河) %C 関連作品: “Eindrücke” [感想](全集38巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T 多紀事蹟(タキ ジセキ) . [写本] %C 請求記号:鴎H20:381 %C 注記:全頁 %C 渋江保ほか筆の原稿を鴎外が綴じた本。『渋江抽斎』関係の資料。大正5年(1916)8月22日付渋江保宛書簡(ただし、『東京大学総合図書館所蔵鴎外文庫展展示目録』によれば、1月22日と推定されている)による鴎外の調査依頼に応じて、渋江保が書き送った多紀家についての原稿がほぼ4分の3を占める。ほかに、森潤三郎による多紀茞庭墳墓の調査記録などが合綴されている。一部、鴎外自身の書入れも見られる。(出) %C 関連作品: 『渋江抽斎』(全集16巻) http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card2058.html %C 参考文献: 森潤三郎『多紀氏の事蹟』日本医史学会,1933年( 『考証学論攷』(『日本書誌学大系』9,青裳堂書店,1979年)に再録) %T 小鹿嶋古文書抄(オガシマ コモンジョショウ) . [写本] %C 請求記号:鴎G27:217 %C 注記:全頁 %C およそ鎌倉中期から織豊時代までの書簡を、年代に依らず、一~六十九の番号をふって配列したうえ、年月日と差出人、受取人、用件などを簡潔に記した目録である。肥前長嶋荘の地頭であった小鹿島《おかしま》(橘薩摩)氏の古文書、『小鹿島古文書』もしくは『小鹿島文書』に基づくと考えられる。全丁が鴎外の自筆である。巻末の識語には、「大正五年五月二十三日抄 源高湛」とあり、成立年代が知られる。 『国書総目録』、国文学研究資料館「日本古典籍総合目録」によると、『小鹿島古文書』の写本は現在東洋大学岩崎文庫、九州大、佐賀県立図書館鍋島文庫が所蔵、『小鹿島文書』の写本は東京大学史料編纂所、佐賀県立図書館鍋島文庫が所蔵しており、これらの写本のいずれかを抄写したものと思われる。(渋) %C 参考文献: 『日本古典籍総合目録』国文学研究資料館 http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html %C 参考文献: 瀬野精一郎編『肥前国長嶋荘史料』(『九州荘園史料叢書』11,竹内理三,1965年) %T 新花摘(シン ハナツミ) / [夜半翁著 ; 月渓編]. [写本] %C 請求記号:鴎A00:6559 %C 注記:全頁 %C 与謝蕪村が亡母追善のために試みた3ヶ月の句日記に、青年時味の各地遊歴の思い出を合わせて綴った書。蕪村歿後、巻子本・版本などの形に改装されて世に広まった。陸軍軍医学校の罫紙が用いられているため明治30年(1897)前後の筆写と推定されるが、鴎外写本には逸翁美術館所蔵巻子本に付された日付がなく、また寛政9年(1797)刊本の頭注も記されていない。本文についても流布本でいう4月23日の条「発句など案じ得べうもあらねば」が「発句など案ずべうもあらねば」に変更されている等、かなり大きな違いがあるが、底本は未詳である。なお、俳句との関わりについては『俳句と云ふもの』、『徂征日記』に鴎外自身の言及がある。(多) %C 参考文献: 杉村英治「鴎外の俳書抄」(『図書館の窓 東京大学附属図書館月報』Vol.17, no.5,1978年5月) %C 参考文献: 尾形仂「『新花摘』の原形」(『文学』52巻10号,1984年10月) %T Novellenschatz des Auslandes / herausgegeben von Paul Heyse und Hermann Kurz. %C 請求記号:鴎E100:54 %C 注記:書入頁 %C パウル・ハイゼ、ヘルマン・クルツ共編『外国小説集』。 明治22年(1889)発表の論文「「文学ト自然」ヲ読ム」(全集22巻「文学と自然と」)において、鴎外の提出した小説概念に「単稗」、「複稗」というものがある。そこに例として挙げられた実作の多くは、『ドイツ短編集』序文から取られているのであるが、「単稗」の例として挙げられたメリメ(P.Mérimée)、アーヴィング(W.Irwing)、ハート(F.B.Harte)の作品は、本書から引かれている。第3巻収録のアーヴィング『ウォルファートのねぐら年代記』(独訳題Wolfert Webber)には、「亦是一種山水画幅」、「奇絶」、「愈出愈奇」などの書入れがあり、また、当時、評判を取っていた饗庭篁村『堀出し物』(『新著百種』2,吉岡書籍店,明治22年)と比較しながら読んだ痕跡が認められる。(山) %C 関連作品: 『文学と自然と』(全集22巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1980年 %C 参考文献: 亀井俊介「『新浦島』を読む」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %T 大倭本草 16卷附録2卷諸品圖3卷(ヤマト ホンゾウ) / 貝原篤信編録. %C 請求記号:鴎T81:45 %C 注記:書入頁の一部(文字書入のみ) %C 貝原益軒著。本書は「新校正」とある宝暦11年(1761)版である。『本草綱目』の分類に準拠しながらも独自の観察と見解に基づき内外の動植物について誌した百科事典的な書。江戸の博物・名物・物産学の嚆矢とされ後世への影響が大きい。 「森文庫」の印記と「森林太郎」および「東京大学医学部」の後識語があり、医学生時代に入手したものと考えられる。書入れは全般にわたっている。内容からみて少年時のものも多いが、一方「落花生」の項に赤ペンで「明治十二三年ノ頃ハ此菓ヲ嗜ム者多ク南京豆ト称テ東京ノ町々ヲ鬻アリキ又店ヲ開キテ売ルモアリ処々ニ植テ之ヲ作レリ」と記すなど、後年のものと思われる回顧的な書入れも見られる。鴎外は比較的長期にわたって本書を事典的に活用し、折りにふれて雑多なメモを書入れていったものと推測される。(梅) %T Die hübsche Miss Neville / von B.M. Croker ; autorisierte Uebersetzung aus dem Englischen von Emmy Becher. %C 請求記号:鴎E200:1308 %C 注記:書入頁 %C ビーシャ・メアリー・クローカー『かわいらしいミス・ネヴィル』のドイツ語訳。 本文最終頁には「明治十九年九月八日於列翁沌読了」の書入れがある。『独逸日記』(全集35巻)によれば、鴎外は明治19年(1886)9月3日から18日の間、シュタルンベルク湖のほとりのレオニ村に滞在し、その間 『Ethnographisch-hygienische Studie über Wohnhäuser in Japan』(日本家屋論、全集29巻)を訂正し、ナウマン(E.Naumann)への反駁文『Die Wahrheit über Japan』(日本の実情、全集未収録)を起稿した。シュタルンベルク湖は、『うたかたの記』(全集2巻)に登場するルートヴィッヒ2世の水死した場所であり、鴎外はミュンヘン時代、頻繁に出かけている。 作者は19世紀末から20世紀初頭の流行作家で、インド滞在経験があり、本作品にもインド在住イギリス人の生活を描いている。幽霊小説(ghost stories)を多く書いた。鴎外は「巫」などの文字を書込んでいる。(山) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %C 参考文献: Michael Cox and R.A. Gilbert selected and introduced “Victorian ghost stories : an Oxford anthology.” Oxford University Press, 1991. %T 唯識鈔(ユイシキショウ) . [写本] %C 請求記号:鴎A00:6510 %C 注記:全頁 %C 古来仏教教理の基礎学である唯識思想についての鴎外自筆本。底本やいつごろ書かれたものかは不明。唯識宗・法相宗の教典である護法等菩薩造の成唯識論全10巻中の7巻までを、語彙の解釈や思想の論述などで綴っている。唯識三十頌の注釈、宗派、伝通経歴など、数十項目にわたって唯識学の問題点が集められており、仏教特有の読みくせについての振り仮名が105カ所記されているが、この読みくせについての理解は、明治33年(1900)より鴎外に唯識論を講義した玉水俊虠から学んだものとされる。また仏教教理を解説するための図表である義図が172カ所あり、中には鴎外が自作したと思われるものもある。また多くの註がドイツ語で書かれた鴎外自身の見解を示すものであり、鴎外の仏教観を探る一助となるものといえる。(神) %C 参考文献: 小川宏「「唯識鈔」と「華厳五教章」について」(『図書館の窓 東京大学附属図書館月報』Vol.13, no.4,1974年4月) %C 参考文献: 大塚美保「芦屋処女のゆくえ−鴎外と唯識思想」(『日本近代文学』50号,1994年5月) %T Literarische Todtenklänge und Lebensfragen / von Rudolf von Gottschall. %C 請求記号:鴎A100:1666 %C 注記:書入頁 %C ルドルフ・フォン・ゴットシャル『文学上の死響と生問』。 ゴットシャルはドイツの作家・劇作家。戯曲・小説・詩などの創作に加え、文芸批評など幅広い分野で多くの著作を残した。鴎外がゴットシャルを精読していたのはミュンヘン時代からベルリン時代にかけてと推定されている。 本書は詩人たち5人の評伝 “Portraits”と、劇・小説などに関する3つの研究論文 “Studien” からなる。“Portrait” にも書入れはあるが、特に“Studien” 中の、ゾラをはじめとするフランス自然主義を扱った「フランスの自然主義・写真主義小説」(“Der naturalische und photographische Roman in Frankreich”)を鴎外は精読しており、鴎外の反自然主義の論調に大きな影響を与えたことが知られている。鴎外が帰国後に坪内逍遥『小説神髄』に触発して書いた「小説論」(副題は“Cfr. Rudolf von Gottschall, Studien”)における自然主義小説批判の論旨は、ほぼこの章の要約となっている。(河) %C 関連作品: 『小説論』(→『医学の説より出でたる小説論』全集22巻) %C 関連作品: “Eindrücke” [感想](全集38巻) %C 参考文献: 神田孝夫「鴎外初期の文芸評論」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %C 参考文献: 武田勝彦「R・ゴットシャルの経歴と作品」(『鴎外』53号,1993年7月) %T 小説神髓(ショウセツ シンズイ) / 坪内逍遥述. %C 請求記号:鴎E20:32 %C 注記:書入頁 %C 坪内逍遥による文芸理論書。その論旨に対しては、今日まで様々な評価がなされているものの、小説の近代的意味と機能を論じたという点で、日本の小説史にとって記念碑的な評論であることは間違いない。鴎外の書入れは帰朝後、すなわち明治21年(1888)以降のものであろう。有名な一節である「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」の部分に、かぎ括弧で印が付されているほか、本文中には、「Fabel」「Drama」「Roman」「Tragödie」など、主としてドイツ語による20箇所の赤色鉛筆の書入れが上巻を中心にある。 鴎外は、明治22年(1889)に、自身はじめての本格的な文学論文「小説論」(『読売新聞』明治22年1月3日掲載。全集22巻には「医学の説より出でたる小説論」として収められている。)を発表しているが、それも、この『小説神髄』を念頭において書かれたとされている。ただ、ゴットシャルの影響を受けた鴎外の「小説論」は、科学と文学の弁別を説くものであり、心理学に引きつけながら、小説の価値を主張しようとする『小説神髄』とは、一線を画するものであった。(神) %C 関連作品: 「医学の説より出でたる小説論」(全集22巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %C 参考文献: 磯貝英夫『森鴎外−明治二十年代を中心に』明治書院,1979年 %T Goethe's sämmtliche Werke : in fünfundvierzig Bänden / [Johann Wolfgang von Goethe]. %C 請求記号:鴎A100:1581 %C 注記:書入頁 %C ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ゲーテ著作集』(レクラム版)。 鴎外は、ゲーテをドイツの文化を代表する詩人として重要視し、深い関心を持っていた。しばしばシラー(J.C.F.v.Schiller)と並べて言及されており、『今の諸家の小説論を読みて』では、「理想主義」のシラーに「現実主義に依ること多き」詩人として対置している。 『独逸日記』明治18年8月13日の条に「ギヨオテGoetheの全集は広壮にて偉大なり。」とあるが、本全集にはドイツ留学最初期の読書作品が含まれている。書入れから、ライプチヒ時代の『エグモント』(Egmond)、ベルリン時代の『親和力』(Die Wahlverwandtschaften)、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(Wilhelm Meisters Wanderjahre)、『わが生涯より 詩と真実』(Aus meinem Leben:Dichtung und Wahrheit)、『イタリア紀行』(Italienische Reise)などの読書時期が確定されている。 『フアウスト』の翻訳原本ではないが、『ファウスト』部分への書入れがとりわけ多く、小堀桂一郎による調査もある。また、本書の『鉄手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(Götz von Berlichingen mit der eisernen Hand)が、『ギヨツツ』第三幕までの翻訳原本と推定される。(山) %C 関連作品: 『ギヨツツ』(全集11巻) %C 関連作品: 『フアウスト』(全集12巻) %C 関連作品: 『今の諸家の小説論を読みて』(全集22巻) %C 参考文献: 寺内ちよ「ドイツ時代の鴎外の読書調査−資料研究−」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T Lise Fleuron : Theater Roman / von Georges Ohnet ; autorisierte Uebersetzung aus dem Französischen von J. Linden. %C 請求記号:鴎E300:538 %C 注記:書入頁 %C ジョルジュ・オーネ『リーズ・フルーロン』のドイツ語訳。 本文最終頁の書入れには「明治十九年六月」と記されており、ドイツ留学中、ミュンヘン時代の閲読であったことが分かる。また、同じ箇所には、「Dumas 有 Adrienne; Ohnet 有 Lise 読了之不泣者、与草木何択」と記されており、本作品を読み、深く感動したことが推しはかられる。本書は、読了の年(1886)に刊行されており、出版後まもなく購入したと考えられる。作者オーネはフランスの小説家・劇作家であり、『独逸日記』(全集35巻)明治18年(1885)8月13日の条には「仏蘭の名匠」として言及されている。「人生の戦い」という連作小説があり、本書もその一編である。 ところで、書入れに見える「Dumas有Adrienne」は鴎外の誤りではないかと思われる。鴎外蔵書中に、スクリーブ(A.E.Scribe)、ルグヴェ(G.J.B.E.W.Legouvé)の、18世紀初頭に活躍した夭折の女優を材料とした戯曲『アドリエンヌ・ルクヴルール』(Adrienne Lecouvreur、鴎E300:448)があり、ドイツ留学中の読書と推定されている。また、『独逸日記』明治18年10月12日、ドレスデン時代の記録に「古市Altstadtなる宮廷戯園に至る。女優ウルリヒUlrichといふ者アドリエンヌAdrienneに扮す」とある。「Adrienne」とはこれらの女主人公ではないか。(河・山) %C 参考文献: 寺内ちよ「ドイツ時代の鴎外の読書調査−資料研究−」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %T Kritische Geschichte der Aesthetik : Grundlegung für die Aesthetik als Philosophie des Schönen und der Kunst / von Max Schasler. %C 請求記号:鴎B800:19 %C 注記:書入頁 %C マックス・シャスラー『美学批評史』。 鉛筆でうすく原田直次郎の署名(表紙裏の遊紙、2枚目)が入っており、ユングマン(J.Jungmann)の『美学』(Aesthetik)第1巻『美学の根本原理』(Der ästhetischen Grungbegriffe、鴎B800:13)と共に、元々原田の蔵書であったと推定される。留学時から読んでいたと推定され、初期の美学に関する知見は、『答忍月論幽玄書』に「我審美的思想は、徒にシヤスレル、ハルトマン等が先蹤に依傍して」とあるように、ほぼハルトマン(K.R.E.v.Hartmann)の『審美学』(Aesthetik、鴎A100:1665)とこれに依っている。実際の批評に『外山正一氏の画論を駁す』ではこれらに依拠して批判を展開している。 神田孝夫氏は、有名ではあるが大部である本書は、実際にはほとんど読まれていなかったと述べている。鴎外にしても熟読したのは第一部の「美学的立場の批判」(Kritik der allgemaeinen ästhetischen Standpunkte)だけであるというが、書入れは他の箇所にもある。また、未定稿『審美史綱』は第二部「美学批評史」(Kritische Geschichte der Aesthetik )冒頭約100頁の要約・抄出である。(山) %C 関連作品: 『審美史綱』(全集21巻) %C 関連作品: 『外山正一氏の画論を駁す』(全集22巻) %C 関連作品: 『答忍月論幽玄書』(全集22巻) %C 参考文献: 小堀桂一郎『森鴎外−文業解題』翻訳編,岩波書店,1982年 %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年 %C 参考文献: 神田孝夫「鴎外初期の文芸評論」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %T Deutscher Novellenschatz / herausgegeben von Paul Heyse und Hermann Kurz. %C 請求記号:鴎E400:313 %C 注記:書入頁の一部(文字書入のみ) %C パウル・ハイゼ、ヘルマン・クルツ共編『ドイツ短編集』全24巻。 総計86篇が収録されるが、31編を除いて、各編の終わりに読後感と読了日付が書入れてあり、これによって鴎外のライプチヒ時代の読書歴の多くを知ることができる。後年『悪因縁』(全集1巻)として訳されたクライスト(H.Kleist)の『サント・ドミンゴ島の婚約』(Die Verlobung in St.Domingo、本書第1巻)の文末には、「驚魂動魄之文字 乙酉八月十二日」と記され、同じく『はげあたま』(全集3巻)として訳されたコピッシュ(A.Kopisch)の『イスキアのカーニバル』(Ein Carnevalsfest auf Ischia、本書第5巻)には、「一気呵成何等快筆.明治十八年四月廿三日」と識語が付されている。他、ハックレンデルの(F.W.Hackländer)の『二夜』(Zwei Nächte、本書第23巻)が、『ふた夜』(全集1巻)の翻訳原本である。 また、本書の内容は、明治20年代の鴎外の小説批評の基礎を形作っていると言えよう。たとえば、鴎外が「「文学ト自然」ヲ読ム」(全集22巻『文学と自然と』)で提出した小説の分類概念「単稗」、「複稗」は、本書第1巻序文におけるハイゼの「ノヴェルレ」、「ロマーン」の分類を参考にしていた。この他にも、実例引用において、本書に学んだ面が少なからず存在するらしい。 (山) %C 関連作品: 『悪因縁』(全集1巻) %C 関連作品: 『ふた夜』『はげあたま』(全集3巻) %C 関連作品: 『文学と自然と』(全集22巻) %C 参考文献: 寺内ちよ「ドイツ時代の鴎外の読書調査−資料研究−」(『比較文学研究』4巻1・2号,1957年6月) %C 参考文献: 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』東京大学出版会,1969年