資料の解説

概要

本文書は、紀州徳川家の附家老であった水野家が所蔵していた古文書類で、太政官牒二紙、複数の古文書を表装した巻子三軸からなる。
これらは明治33(1900)年に、水野家第十代当主忠幹(ただもと)から南葵文庫に寄贈されたものである。関東大震災の後、南葵文庫の蔵書は東京帝国大学へと寄贈されるが、本文書は未整理のまま留め置かれていた。このたび調査が行われ、東京大学総合図書館はこの5点を貴重図書に指定した。


解題

【太政官牒について】(A00:6584)

この太政官牒は、本来、二紙をまとめて巻子仕立てであったものを、近年の発見時に改装して、各紙ごとに裏打ちを施し二紙としたものである。太政官牒とは、太政官から僧綱・寺社など直接管理下にない組織等へ発給する公文書のことを指す。なお、この二通とも『平安遺文』には未収載である。以下に詳細を記す。

(1)仁平4(1154)年4月6日 太政官牒
鳥羽院政期、近衛天皇在位中に太政官から東寺に充てた文書。東寺定額僧であった定慶と交替に信遍を東寺定額僧に任命した補任状。4月6日付けであるが、信遍が拝任のお披露目儀式である拝堂(東寺の伽藍の本尊に拝任の挨拶として礼拝する儀式)をおこなう10月15日の官使が東寺に持参した(袖に「到来同十月十五日」とある)。太政官印3個が捺してある。
横寸法47.8cmはこのころの太政官牒にしては少し短いので、袖奥の一部が5㎝ほど後に切断されているかもしれない。
料紙は楮紙で平安時代の低質の檀紙である。非繊維物質や繊維束が多く、少し米粉が添加されている。

(2)元暦2(1185)年5月27日 太政官牒
後白河院政期、後鳥羽天皇在位中に太政官から東寺に充てた文書。東寺定額僧であった乗叡の辞退を補うため舜海を東寺定額僧に任命した補任状。太政官の上卿(担当案件の政治責任者)権中納言藤原頼実が権右中弁・左大史に命じてこの文書を作成させた。太政官印3個が捺してある。
横寸法48.7cmはこのころの太政官牒にしては少し短いので、袖奥の一部が4㎝ほど後に切断されているかもしれない。
料紙は楮紙で平安時代の低質の檀紙である。非繊維物質や繊維束が多く、少し米粉が添加されている。


【古文書巻子三軸について】(A00:6585)

土地取引に関わる社会経済関係文書の原本および写し40点(44紙)からなる。
そのほとんどを寺社に関わるものが占め、特に法隆寺と神護寺に関するものが多い。年紀の最も古いものが承保2(1075)年5月2日、最も新しいものが寛正6(1465)年8月7日であり、平安末期から室町中期の400年余りの期間の文書であることが解る。
当該文書には本学の史料編纂所に「古田券」と称する模本があり、所蔵史料目録データベースで全文が公開されている。この模本の下巻末には「明治十七年五月旧桒名藩士某蔵本ヲ以テ冩ス 一等繕冩田中重遠」とある。つまり明治17(1884)年に史料編纂所の前身である修史館が当該文書の写を作成した際、所蔵者は桑名藩士の某であり、巻子に貼られていた題簽も現在の「古文書」ではなく「古田券」であったことが解る。
このように当該文書は、桑名藩士某から水野氏の手にわたり、南葵文庫、東京大学へと引き継がれてきたものなのである。現装幀には南葵文庫の蔵書印と寄贈印が捺されているので、南葵文庫所蔵時には既に改装され、題簽も「古田券」から「古文書」に変えられていたものと考えられる。
『鎌倉遺文』などの史料集に既に掲載されているものも多いが、中にはこれまで知られていなかったものもある。また既出のものは出典が「古田券」となっているので、史料編纂所の模本から採録されたと考えられる。このため原本である本文書の方が史料価値は高く、今後既出史料と比較検討の上での利用が期待される。

富田正弘(富山大学名誉教授)
小島浩之(東京大学大学院経済学研究科講師)


このサイトで公開するデータは、東京大学史料編纂所刊行の『大日本史料』、『大日本古文書』の編纂史料とするため、史料編纂所にて撮影された電子データの提供を受けて作成されました。 また公開においては、以下の2つの科研費プロジェクトによる研究成果が反映されています。

  • 平成20~23年度科学研究費基盤研究(A)「東国地域及び東アジア諸国における前近代文書等の形態・料紙に関する基礎的研究」(課題番号:20242016、代表:筑波大学・山本隆志)
  • 平成21~24年度科学研究費補助金基盤研究(A)「協調作業環境下での中世文書の網羅的収集による古文書学の再構築プロジェクト」(課題番号:21242021、代表:東京大学・近藤成一)
  • 調査には遠藤基郎(東京大学)、小島浩之(東京大学)、富田正弘(富山大学)、柳原敏昭(東北大学)の各氏が携わりました。