東洋自由新聞

『東洋自由新聞』は、明治14年3月18日に東京で創刊された日本最初の急進的自由主義新聞である。フランスに遊学して自由主義思想に触れた西園寺公望を社長に迎え、中江篤介(兆民)が主筆を務めた。しかし、華族である西園寺が主権在民を唱える新聞を主宰することの社会的影響を懸念した政府側の干渉によって、西園寺は社長を辞任、明治14年4月30日の第34号をもって廃刊となった。 宮武外骨は、昭和2年に明治文庫へ就任以来、東京の上野図書館(国立国会図書館の前身)や蒐集家等も所蔵していないこの『東洋自由新聞』の入手を熱望していた。発行関係者の遺族訪問や全国各地への資料蒐集出張でもほとんど成果が無いなか、昭和6年9月、思いがけない仲介により、千葉県の旧家から創刊第1号から終刊第34号まで1枚の欠も破損もない完全のものを入手することができた。外骨は「天祐の獲物」として『公私月報』の号外でその歓喜を報告している。

※『公私月報』とは、宮武外骨が明治文庫在任中の昭和5年から昭和15年にかけて発行した、公私にわたる活動の記録である。明治文庫初期の資料蒐集活動や外骨による資料の解説が詳細に記されている。


(参考文献)

  • 宮武 外骨,『公私月報』.
  • 西田 長寿, 1964,『東洋自由新聞 』東京大学出版会.
  • 西田 長寿, 1966,『明治時代の新聞と雑誌(日本歴史新書)』至文堂.
  • 西田 長寿, 2001,『明治新聞雑誌文庫の思い出』《リキエスタ》の会. (ISBN 4887521499)