朝庭御鷹野之影

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『朝庭御鷹野之影』 二巻

著者: (狩野)栄川院・養川院筆写/飯嶋助九郎筆

春夏秋冬それぞれの季節が巻物を展開するにつれて推移し、その季節を背景として、鷹狩の様子が描写されている。後世の筆による写しと思われるが、鷹狩の姿を見事なまでに活写している。

この巻物には一高の蔵書印が捺されているものの、箱に記されている情報(箱書)以外にその来歴を知らせるものがない。栄川院、養川院はともに幕府御用絵師として一世を風靡した狩野派木挽町家の二代にわたる当主である。(狩野栄川院典信、1730~1790/狩野養川院惟信、1753~1808)彼ら二人は奥絵師としては高位の「法印」の称号を幕府より授かっている。

江戸時代の鷹狩は生類憐れみの令で知られる徳川綱吉の時代には厳禁されていたが、八代将軍徳川吉宗がこれを復 活させている。江戸の近郊には「鷹場」と称する特別区域が幾つか設けられ、将軍家をはじめとする有力大名がこの狩に興じていた。東京大学駒場キャンパスの周辺地域は享保期以後、「目黒筋」と呼ばれる鷹場の一部に編入されていた。駒場の近世に思いを馳せれば、この図に描かれているような農村風景や武蔵野が広がっていたはずだが、その裏では、数多くの人々の生活が犠牲にされていた。鷹狩は、庶民に様々な負担を強いる為政者の娯楽であった。

解説:佐藤賢一 電気通信大学教授