Von West nach Ost(『東漸新誌』)

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 2018年に駒場で発見されたVon West nach Ost(直訳は『西から東へ』だが、鷗外は『東漸新誌』または『東漸雑誌』と訳した)は、「独逸文雑誌會」が1889年1月に創刊した日本初のドイツ語雑誌である。刊行の目的は、「日本におけるドイツ語の普及と振興」で、本学ゆかりのお雇いドイツ人教員たち、医学者のエルヴィン・ベルツや林学者のオイスタッハ・グラスマンらも正会員になっていた。そして実際の編集・刊行を行った実行会員は、鷗外こと森林太郎(1862‐1922)を筆頭に、台風の研究で知られる本学農学部[当時:帝國大學農科大學]教授・北尾次郎(1853‐1907)、刊行当時は陸軍大学校教授でメッケルらお雇いドイツ人教官の通訳も務めていた藤山治一(はるかず)(1861‐1917)、文部官僚・寺田勇吉(1853‐1921)の計4名で、いずれもドイツ語が達者な日本人だった。

 1889年1月の創刊号から同年3月刊行の3号までは国立国会図書館が所蔵しており(1995年発見)、月刊誌であること、また少なくとも13号まで刊行されたことが判明していた。ちなみに裏表紙[見返し]の広告以外はすべてドイツ語で、「ひげ文字」と呼ばれる活字体Fraktur(フラクトゥア)が使われている。たとえば創刊号目次には、鷗外だけでなく、ヘルムホルツに師事した北尾の「スペクトル分析」や「日本人による初めての本格的なシーボルト論」と評される藤山の「フランツ・フォン・シーボルト」など、さまざまな分野の論考が並ぶ。

 さて、明治大学文学部教授・井戸田総一郎氏と科学技術史研究者で鷗外記念会会員でもある村松洋氏によって発見された本資料は、表紙と奥付・見返しを外した170頁の合本形態で、意匠を凝らした表紙デザインや日本語広告は残念ながら失われている。また創刊号所収の森の「日本住家の民俗学的衛生学的研究」連載第1回の7-10頁、すなわち計4頁の落丁があるものの[この衛生学論文は別誌に掲載済み]、1~10号がすべて揃っている。したがってこのデジタルアーカイブでは、鷗外研究者の間では長らく「幻の雑誌」と呼ばれてきた本誌掲載の――第5号所収の森の演劇論「演劇問題に就いてÜber die Theaterfrage」や第7号所収の森を中心とする新聲社メンバーがS. S. S.のイニシャルで発表した「おもかげOmokage」を含めて――鷗外のドイツ語論文がすべてご覧いただける。

 他方、北尾次郎(本誌ではDiro KITAOと表記)は、十代で渡航したドイツでの留学生活も長く、妻がドイツ人だったこともあり、自由自在にドイツ語を操り、鷗外と双璧をなす本誌の執筆者であった。言い換えれば、森鷗外と北尾次郎の2名が両輪として本誌を牽引していたのである。北尾は実名の記事だけでなく、Anathol Schumrichのペンネームを用いて、創作メルヒェン『愚かなミヒェルについて Der dumme Michel』(第3-5号所収)や日本中世を舞台にした長編創作恋愛小説『吾妻 Adzuma』(第7-10号連載)を発表していた事実が判明し、芸術領域でも豊かな才能を発揮した物理学者・北尾を知る上で興味深い資料となっている(なお、合本・製本化の過程で失われているが、表紙挿画も北尾が描いたことが判明している)。

 このほか、ドイツ語に親しむための独文学作品の紹介や引用、懸賞論文・懸賞翻訳課題なども、当時の日本におけるドイツ語レベルやドイツ受容を知るうえで参考になる。2024年3月、駒場図書館の貴重書に指定された。

【解説・石原あえか総合文化研究科教授】

 

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