資料の解説 > 近世法制史料の解説
主として近世前期の徳川家・江戸幕府の法令類を集めたもの。『国書総目録』には同タイトルの書を幾つか掲げるが、冊数が大きく異なるなど、相互の関係は明らかでない。法制史資料室所蔵本の成立の時期や経緯など明らかでないが、各冊に川越藩主松平斉典(なりつね、1797-1850)が用いた「松平氏蔵書印」が捺されており。その蔵書のうちに在ったことが知られる。斉典は好学の君主として知られ、本書は或いは斉典の意向のもと川越松平家において編まれたものかもしれない。
1・2巻には家康の三河・駿河時代の関連文書、豊臣秀吉に関するもの等を収めるが、とくに家康関係の古いものは正文とは認められないものも多い。3巻からは江戸幕府が開かれてからの法令を多く収めるが、これらは他の法令集にも収載され知られたものも多く、武家諸法度や禁中並公家諸法度など著名なものも含まれる。以下、例えば4巻には元和5年(1619)の福島正則改易(減転封)や上洛時の条目、5巻には寛永10年(1633)の軍役令、武家諸法度(寛永令)、6巻には寛永飢饉関連の諸法令などとなっている。最後の20巻は、貞享2年(1685)の鶴姫(徳川綱吉長女)の紀州家入輿の記事で終わっている。
本書の元になった文書・法令・史料がどのように収集され伝来したものか、他の法令集などを参照して作成されたのかも未詳。典拠不明なものや内容に疑義を残すものもあり、「近世前期の法制史料」として活用するためには、類本との比較対照など慎重な検討を要するが、そうした検討の材料として用いることによって、近世前期の幕府法の解明への手がかりとなりうるであろう。また、近世前期の法令類に関する情報が近世後期からどのように振り返られていたのかを例示する史料としても、本書は重要な意味を持つ。
江戸幕府評定所に蓄積されていた記録書類は、明治新政府に接収され司法省において『徳川禁令考』『法制類聚』などの古法制資料類聚に利用された後、実務上の現用を終えた歴史資料として、内閣記録課を経て明治37年(1904)に東京帝国大学法学部に移管されたが、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した。史料現物は失われたが、その書目は、司法省架蔵時代の「司法省舊幕府書類明細目録」と、内閣記録課に移管された後に作成された「評定所舊幕府書類目録」(いずれも内閣文庫所蔵)によって知られる。本史料は、東京帝国大学法科大学嘱託として『法制類聚』編纂主任を務めていた三浦周行が、明治35年夏に史料採集のため内閣記録課書庫を調査した際に両目録を書写したもので、三浦の歿後、古書肆を経て昭和14年に東京帝国大学法学部の所蔵に帰した。2冊それぞれ親本にはない目録若干が追補されている。また、第2冊には調査の際の詳細な書入れがあり、「失はれたる近世法制史料」の輪郭を伝える貴重な記録となっている。三浦周行「失はれたる近世法制史料」(三浦『續法制史の研究』岩波書店1925)参照。
江戸幕府から東京府に移管された引継書類(主に町奉行関係だが、評定所・寺社奉行・作事奉行関係のものが若干ある)の目録の写本。三浦周行旧蔵。明治10年(1877)に小宮山綏介によって作成された目録原本を謄写し、さらに史料編纂掛所蔵の写本によって補訂したもので、明治37年1月に写し了えた旨の奥書がある。三浦歿後の昭和14年に古書肆を経て東京帝国大学法学部に購入された。目録所載の書類は、明治27年に東京府から帝国図書館に移管され、現在は国立国会図書館に「旧幕引継書類」として架蔵されている。
『科條類典本文』(甲2:1967)
『科條類典本文』は、東京大学法学部において「日本古代法律」を学修する学生に貸与すべく明治14年に編まれた教科書で、上下2冊にそれぞれ「公事方御定書」上下巻を翻刻し収める。法制史資料室所蔵本は三浦周行旧蔵、昭和6年の三浦の歿後に古書肆を経て昭和14年に本学部に購入された。明治19年「日本古代法律」科目廃止によって当初の用を終えた後、帝国大学法科大学における『法制類聚』編纂事業に参照利用されたものが、明治36年の事業廃止に伴い除籍されて、編纂主任であった三浦の所蔵に帰したものと推測される。おそらくは編纂事業と関わってのことであろう、「公事方御定書」の条文ごとに、関連史料の引用や註釈、旧幕吏の証言などが細字で書き込まれ、もしくは別紙を以て貼付されている。それらのうちには、『御仕置例類集』第五集や『御仕置筋其外取計』など、旧幕府評定所に由来し関東大震災で焼失した「失はれたる近世法制史料」の逸文が多数含まれており、伝存史料の欠落を補う貴重な情報を伝える。