高札類の解説

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『高札類』

 中世から近代初期にかけて、統治者から被治者に命令・布告・教誡の類を伝達する媒体として、木板に墨書した高札が用いられ、町辻や橋詰など人々の多く行き交う場所に掲示された。近世には各地に掲示のための高札場が設けられ、明治新政府もその発足時には政権交代の告知と人民教誡のため各地に高札を掲げた。近代国家にとって、法令の類を国民に告知し周知徹底を図ることは重要な課題であり、そのために当初は高札が襲用されたわけだが、やがて官報による周知の擬制へと置き換わる。

 法制史資料室に所蔵する高札類は、A近世の高札類とB近代初頭の高札類とに大別される。Aには元和2年(1616)の切支丹札、正徳元年(1711)の切支丹札・火付札及び忠孝札写、享保6年(1721)の鉄砲禁令、明和7年(1770)の徒党札、天保14年(1843)の浪人札があり、Bには慶應4年(明治元=1868)の五榜の掲示(第一札~第五札)とそれに続く阿片煙草禁制がある。いずれも全国各地に同内容で掲示されたものである。

(大学院法学政治学研究科 教授 新田 一郎)