橋田邦彦講義関係資料

種別
図書
編著者
〔橋田邦彦〕
刊行年、書写年等
1934(昭和9)年10月~1943(昭和18)年5月
刊行年月日(西暦)
1934-10-1943
形態
38点
内容記述

参照コード: F0022/SF02

年代域: 1934(昭和9)年10月~1943(昭和18)年5月

記述レベル: サブフォンド

組織歴・伝記的経歴: 橋田邦彦は、明治15(1882)年、鳥取県の漢方医藤田謙造の次男として生まれ、16歳で橋田家の養子となる。第一高等学校第三部を経て、東京帝国大学医科大学に入学、明治41(1908)年卒業、生理学教室の助手となる。1914(大正3)年ドイツ・ストラスブルグ大学へ留学するが第一次世界大戦勃発により勾留、釈放後、スイス・チューリヒ大学に移り、1918(大正8)年8月帰国。同年11月に助教授、1921年医学博士の学位授与、翌1922年教授となる。生理学講義を担当するなかで「生理学の根本である生命とはなにか」考究する必要性を認識し「正法眼蔵」を研究、生理学教室にて毎週1回夕方からの会(月曜会または火曜会、のちに碧潭会と呼称)で、主として教室研究者向けに講義を行った。1937(昭和12)年に第一高等学校長を兼任、1940~43年に文部大臣。1945年9月14日、A級戦犯指名をうけ服毒自殺。

記録史料伝来: 1997年2月21日、熊田衛氏(医学部生理学第二講座教授)より寄贈

範囲_内容: 橋田邦彦による「正法眼蔵」講義速記録(複製)

利用条件: 公開

著作権_複写に伴う条件: 著作権保護期間内のため制限あり

使用言語: 日本語

原本の存在と所在: 複製物であるが、原本の所在情報は不明

複製の存在と所在: なし

収蔵情報: 柏

備考: 橋田邦彦『正法眼蔵釈意』の関連資料と推定(参考文献:東京大学医学部生理学同窓会編『追憶の橋田邦彦』鷹書房、1976年)

コレクション名

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