資料の解説

農学生命科学図書館コレクションでは、東京大学農学生命科学図書館の蔵書をデジタル化し公開しています。

国牛十図
「国牛十図」(コクギュウジュウズ)は、農学生命科学図書館の貴重書の一つです。
この資料は鎌倉末期に成った国産の牛を図説するもので、安永7(1778)年 に書写されたものとして当館に所蔵されています。
詳しい内容については、東京大学農学部創立125周年記念農学部図書館展示企画のサイトをご覧ください。

 

東京帝國大學農學部建物位置圖
大正11(1922)年の駒場キャンパスの構内図です。当時、農学部は駒場にありました。この図では建物に番号が振られ、番号と建物名称の表が付いています。圃場を含む敷地全体が描かれており、現在の駒場キャンパスよりも広い敷地だったことがわかります。
参照:現在の駒場地区キャンパスマップ
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/map02_01.html

 

東京帝國大學本部構内及農學部建物鳥瞰圖
昭和12(1937)年の本郷キャンパスの構内図です。農学部の本郷移転(昭和10年)から2年後にあたり、当時の状況がわかります。建物等が立体的に描かれ、キャンパス内に点在する銅像なども書き込まれています。なお、この図は印刷されたものであり、総合図書館にも同一のものが存在しますが、当館所蔵の図は彩色が鮮やかに残っており、貴重と考えられます。
参照:現在の本郷地区キャンパスマップ
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/campus-guide/map01_01.html

 

農科大學桑樹見本園各種摺葉譜

東京帝国大学農科大学の桑樹見本園で育てられていた桑樹、約750種類の葉を魚拓のように写し取ったものです。様々な形の桑の葉をご覧いただけます。
本資料の序文によると、農科大学の前身である駒場農学校では明治14年(1881)に桑園を設置し、明治17年(1884)に増設しました。当時植えられていた桑は100種程度でした。明治21年(1888)に日本各地の桑種を収集して桑樹見本園となり、本資料が作成された大正7年(1918)には約750種を育て、外来種の収集にも努めていたようです。

 

葇荑科植物彩色圖

書名からヤナギ科ヤナギ属およびヤマナラシ属の花穂の図譜と推察できます。
大学院農学生命科学研究科・農学部の前身組織、東京山林学校(明治15年5月に設立、明治23年6月に農科大学に改組)で作成されたものと考えられますが、原本や模写した人物は不明です。

 

莎草類彩色圖

書名からカヤツリグサ科植物の図譜と推察できます。
大学院農学生命科学研究科・農学部の前身組織、東京山林学校(明治15年5月設立、明治23年6月に農科大学に改組)で作成されたものと考えられますが、原本や模写した人物は不明です。

 

禾本科植物彩色圖

書名からイネ科植物の図譜と推察できます。
大学院農学生命科学研究科・農学部の前身組織、東京農林学校(明治19年7月設立、明治23年6月に農科大学に改組)で作成されたものと考えられます。表紙裏に「ソワーベー氏英國植物類集及ローウェー氏英國牧草書寫」とあり、James Sowerby著「English botany」及びE. J. Lowe著「A natural history of British grasses」から抜粋して模写したと思われますが、模写した人物は不明です。

 

彩色寫生輸出百合花集

明治28年(1895年)8月に刊行されたユリの花の図譜です。当時、日本から欧米へユリの球根が輸出されており、この資料もそのためのカタログのような意味合いがあると推察されます。なお、当館の蔵書は早世した学友への弔慰金により購入し寄贈されたもので、賛同者の名簿などが表紙裏に貼付されています。
参考: 国立公文書館アジア歴史資料センター Webサイト「ユリ根の輸出 ~欧米で愛好された日本の草花~」
https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p02.html

 

莎草冩圖

書名からカヤツリグサ科植物の図譜と推察できます。一部のページには、学名などを記した付箋が挟み込まれています。作成者などは不明です。
蔵書票から、もともと農商務省の蔵書だったものが、大学院農学生命科学研究科・農学部の前身組織、駒場農学校(明治15年5月設立、明治19年7月に東京農林学校に改組)へ引き継がれ、現在に至ると考えられます。

 

有用植物圖説

博物学者・田中芳男が監修した植物の図譜です。図譜3冊と解説3冊、目録索引1冊の計7冊で構成され、明治24年(1891)に大日本農会から刊行されました。
参考: 東京大学附属図書館マルチメディア展示会「博物館・博覧会と好奇心-田中芳男男爵旧蔵資料から」 2.『有用植物図』
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai94/naturhist-dir/botany_02.html

 

日本竹類圖譜

農商務省が刊行した図譜のひとつで、竹類を集めたものです。本文(解説)と図版の2冊で構成されていますが、当館は図版のみ所蔵しています。
資料の詳細は附属千葉演習林 久本洋子助教によるコラム「タケ類の花と開花のよもやま話」をご参照ください。
https://www.lib.a.u-tokyo.ac.jp/website2022/wp-content/uploads/2023/06/lounge-column202004.pdf
また、解説は国立国会図書館デジタルコレクションでご覧いただけます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832592

 

日本森林樹木図譜

農商務省が刊行した図譜のひとつで、樹木類を集めたものです。製本されていない状態で頒布されたものを自家製本しています。もともと第1帙88枚、第2帙74枚、計162枚のカラー図版から構成されていますが、他館の蔵書と比べると当館の蔵書にはモノクロ図版(図の番号にaが付与されている)や索引があり、自家製本の際に追加したと考えられます。

 

日本菌類圖譜

農商務省が刊行した図譜のひとつで、キノコ類を集めたものです。製本されていない状態で頒布された第1~4集を1冊にまとめて自家製本しています。なお、後年、第5集と目録が農林省林業試験場から発行されましたが、当館では所蔵していません。

 

群芳圖譜

さまざまな花の図譜です。それぞれの植物についてカラー図版、モノクロ図版、解説文で構成されています。本書のカラー図版は他の図譜(例えば農商務省による図譜)と比べて色彩が淡く、絵画的な構図で描かれているのが特徴です。一方、モノクロ図版は全体像に加え細部を分解して描かれており、解説文と合わせて図譜(図鑑)としての役割を果たしていると言えるでしょう。各輯の序文を森林太郎(鴎外)はじめ当時の文化人が執筆し、興趣を添えています。なお、当館では第1輯の第1編~第10編 計10冊を所蔵していますが、第2輯以降は刊行されなかったと思われます。

 

Castans' Lectures on agriculture(「Castans」は正しくはCustance)

英国人教師John Daniel Custance(1842–1923)が行った農事修学場(後に農学校と改称)での講義を、同校二期生の大内健(1864-1894。農商務省から文部省に移り、高等師範教授となって農学会の創立に携わった)が書き留めた手書きのノート。来日前Custanceは英王立サイレンセスター農学校教官だった人物で、明治10年(1877)に開校した農学校の教壇に4年間立った後帰国、その後豪アデレード大学の農学教授にもなっています。本ノートはLecture I~Xと10区分されていますが、残念なことにIとIIIは揃っていません。

 

E. Kinch's Lectures on chemistry, inorganic, with laboratory notes
E. Kinch's Lectures on chemistry, organic
E. Kinch's Lectures on agricultural chemistry

英国人教師Edward Kinch(1848–1920)が行った農事修学場(後に農学校と改称)での講義を、同校二期生の大内健(1864-1894。農商務省から文部省に移り、高等師範教授となって農学会の創立に携わった)が書き留めた手書きのノート。Kinchは明治10年(1877)の農学校開校より、無機化学、有機化学などを教え、日本に初めて農芸化学を導入した人物として知られています。帰国後は英国王立サイレンセスター農学校の教官に就任しました。

 

Results of analyse performed at the Chemical Laboratory of the Imperial College of Agriculture

農学校から駒場農学校、帝国大学農科大学、東京帝国大学農科大学初期まで、農芸化学科で引き継がれてきたと思われる実験ノート。農芸化学の教師だったイギリス人Edward Kinch(1848-1920)、ドイツ人Oskar Kellner(1851-1911)による第1巻、当時農芸化学科の学生だった古在由直(東京帝国大学農科大学元学長、東京帝国大学元総長。1864-1934)による第2巻、複数の日本人名と実験結果が記載された第3巻から成り、特にKinchの部分は、日本において土壌、肥料、作物などの分析結果を最初に記録したものと考えられています。

 

日本物産國盡 前篇

児童の習字学習のため五畿七道の特徴を木版挿絵入りで紹介したもの。明治6年(1873年)出版の前篇3冊には、畿内、東海道、東山道、北海道の府県名や所轄郡数、名所や特産品を収録。中島翠堂の説明文に、内務省博物館掛の中島仰山と版画家の溝口月耕が美しい挿絵を添えています。

 

澳國博覽會報告書

明治6年(1873年)に開催されたウィーン万国博覧会に初めて公式参加した日本の万博事務局が、西欧の政治、産業、文化、諸制度などをまとめた報告書です。

 

興業意見

農商務省前田正名の企画により明治14年(1881年)に編纂が開始され、明治17年(1884年)に完成した産業政策についての調査・提言を纏めた資料です。

 

 

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