東京日々新聞 千五十四号 [六]
Level: アイテム
identifier: O-COL-SN-216
Type: 錦絵
Subject: 新聞錦絵
number of pages: 1
来歴-所有者(L6-001): 東京大学大学院情報学環図書室/附属社会情報研究資料センター
来歴-現物資料の来歴(L6-002): 1970年代後半小野秀雄邸より旧新聞研究所に移管。1980年代から2000年代にかけて情報学環本館7F展示室に保存されていたものを、2007年以降図書室/社会情報研究資料センター貴重資料保存スペースに移管。
言語(L6-077): ja
内容記述(L6-068): 主殺し、放火、姦通、堕胎をした不倫カップル。(読み下し文_括弧なし:人の性ハ善なると。朱に交/ハれバ赤くなる諺にもれぬ紅/渡世。情ハ浅き浅草の紅屋の/女房お仲といふハ。雇人の安/川巳之助と良人が病中密/に通じ。設たる子を堕胎て/しまひ遂に良夫を毒殺し/公然女夫にならんとしたる/を親類共に妨られ目論見/ちがひに巳之助ハ去年/の暮に陬防町なる紅/屋の家に火/を/放ち隣町まで焼仏ひ。其後お仲の方よ/りして心変のしたるをもて。巳之助大に憤りお仲を毒殺して/くれんと。鮨にしこミし鼠取。地獄おとしと喰せたれバ。お仲をはじめ/其席に居合せたる者どもが。忽地腹痛吐逆して。大に苦しミ/医をまねき治薬を需る騒動より。巳之助お仲を取/糺セバ。良夫殺しに。主殺し。放火。姦通。堕胎まで。/数数つもる/悪業を白状の/うへ捕縛につきしハ。/明治八年七月なり/小説の作者/転々堂主人記 )
作成(L6-027): 絵師:一恵斎芳幾 彫師:彫栄
出版者(L6-074): 錦昇堂
デジタルデータ関連-デジタル化の有無(L6-046): デジタル化済
元記事原文(CUSTOM_00023): 浅草阿部川町の左官卯兵衛方に寄留せし安川巳之助と/「云ふ者ハ一昨年(おととし)の二月頃より同所諏訪町の紅屋(べにや)市右衛門/と云ふ人がながながの煩らひにて渡世も手廻り兼るに付/き雁人と成り年(とし)若(わか)なれども甲斐(かひ)甲斐しく立働(たちはた)らきけれバ/女房おなかハ大いに喜こび市右衛門ハ老衰の上の難病な/れバ彼(あ)の通り痩(や)せ衰(おとろ)へて快気に趣く目当(めあて)もなし此上とも/に気を附けて見世の事ばかりで無く何事も引受けて世話/をして下(くだ)されと只管(ひたすら)に頼まれて巳之助心に思ふやう市右/衛門が容体(ようす)を見るにとても此世の人とハ見えず吾(わ)が独身/こそ幸ハひなれ主人が死(しん)だ跡でハおなかと夫婦に成り此/身上(しんしゃう)を手に入れんと爰に始(はじめ)て悪念を起し一際(ひときは)諸事に心を/用ひ尚もおなかが気に入る様(やう)に取り廻ハして何時(いつ)の程に/か鵲(かささぎ)の橋を渡り初(そ)めて忍び忍びに語らひけるが星(ほし)逢(あ)ひの/夜の頃よりして月の物も滞(とどこお)り日を経るままにおなかがふ/くれて人目にも立しかバ遂にハ病人にも見咎められん事/を恐れおなかハ菓子一択と肴料二円を携さへ兼て市右衛/門が療治を頼みし鹿倉道伯と云ふ■物の■に至り扨て市/右衛門をも長々の重病にて何ほどお薬(くすり)を頂(いた)だきまして/も利目(とどめ)も見えませず朝(あさ)ゆふ傍(そば)に看病(かんびゃう)して苦痛(くつう)を見ますも/痛々(いたいた)しう御座りますから寧(いつ)その事に早く極楽浄土へ往/生させたら当人も楽(らく)に成りませうと存じます何(どう)ぞ端的(たんてき)に/利(よ)く好(よ)いお薬を調合して下(くだ)さいましと心ありげに頼ミけ/れども道伯ハ即座に挨拶もせざるゆゑその日ハ空しく立帰/りしが是非とも妙薬を貰ひたしと度々の催促に道伯も/漸やく承知し調合して贈(おく)りしハ是ぞ冥土(めいど)へ行く水(みづ)の煎じ/詰(つ)めたる薬の中へ別に包みし一服を掻(か)き交(ま)ぜて呑(の)ませし/かバ病苦に疲(つか)れし市右衛門たちまち心神悩乱(しんしんのうらん)して七頓八/倒に苦しミつつ八月六日の十時ごろに果敢(はか)なく息ハ絶(た)え/果(はて)たり親族どもハ斯(かく)とも知らず同じく八日に打ち寄りて/下谷金杉の千手院へ野辺の送りを■ミける然るにおなか/ハ次第に身重(みおも)に成りしかバ再たび彼の鹿倉へ三円の金を/贈りて堕胎(おろ)して貰(もら)ひければ程なく跡腹(あとはら)の痛(いた)みも止(と)まりて/誰(たれ)憚(はば)からず巳之助と語らひしが市右衛門が忌日も追々/遠く過ぎ往きしころ親類一同が相談して弱年ながら悴■/吉を市右衛門と改名させ相続人に取極(とりきめ)て親類が代る代る/後見すべしと云ふ事なりしかバ二人が目論見ハ大いに/喰ひ違(ちが)いけるにぞ巳之助ハ又も悪計を思ひ付き此家が焼/失したならバ差し当り悴市右衛門ハ別居となり巳(おの)れハお/なかと気■に暮し夫婦の如くせバ夫から跡ハ何(どう)でも成(な)ろ/うと十二月十六日の夜ひそかに其家の物置へ火を付けて/紅屋が家ハ云ふも更なり隣町まで焼け広がり五十八軒ほど焼失せしかバおなかハ馬道新町へ立退きしが巳之助と/おなかが不埒の■■追ひ追ひ顕(あら)ハれて親類一同が評/議のうへ巳之助に暇(いとま)を遣(や)りおなかにハ慎(つつ)しみを申し渡せ/しが巳之助ハ兎角ぐずぐずと出おくれて漸やく今年二月/下旬に退身ハしたれども其後もおなかの処へハ度々立/入り居たりしが何日(いつ)の程よりおなかが情態(そぶり)おのづから/変(かわ)りて巳之助が来るとうるさがる様子にて挨拶も素気(そげ)な/くするにぞ巳之助ハ深く怪しミ何ゆゑ心替りのせしに/やと探(さぐ)りて見ればおなかハ近ごろ松さんと云ふ忍び男が/出来たりと聞よりも巳之助ハ大きに憤ほり巳(おの)れ太(ふと)い畜生/め此上ハおなかを始め家内一統に毒を喰ハせ親父(おやぢ)同様に/転(ころ)りと遣(や)らんと三月二十九日の午(ひる)すぎ浅草寺内の花井鮮/にて折詰(おりづめ)を誂(あつ)らへ馬喰町の皆川和助かたにて求めたる鼠(ねづみ)/取(と)り薬を混和(かきまぜ)て鮮屋の小僧に頼ミ直に近所へ立のき居る/紅屋の宅(たく)へ持(もた)せ遣(や)り御存じのお人から届けて呉れろと申/されましたと差し出せバおなかハハテナ誰から呉れたの/だろうかと云ひつつ何心なく市右衛門と弟の五市を呼び/寄せ共々に喰ひけるに間もなく三人が腹痛吐逆して大/いに苦しみ■者よ薬と大騒(おほさは)ぎをして早速に手当を■しけ/れバ三人ともに恙(つつ)がなく助かりしが此こと其筋の聞込(ききこ)ミ/となりて去ル五月の初旬より巳之助もおなかも其外の者/も追ひ追ひ呼び出され第三分応にて取り乱されしが毒殺/その外とも悪事判然たれバ本月十三日三人ともに裁判所/へ送(おく)られたと申しますが主殺(しゆうころ)しに亭主(ていしゅ)ころし火付(ひつけ)に姦通(まをとこ)/子を卸(おろ)し毒害(どくがい)までも悪事の数々打揃(うちそろ)ひたる重々(■■)の不埒(ふらち)な/んとマア非道(ひど)い奴等(やつら)でハ五座りませぬか鬼でも畜生でも/連も是にハ及びますまい
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部局情報学環・学際情報学府
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所蔵者東京大学大学院情報学環図書室/附属社会情報研究資料センター
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提供者東京大学大学院情報学環図書室/附属社会情報研究資料センター
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メディア(画像等)利用条件http://dch.iii.u-tokyo.ac.jp/s/dch/page/license_other
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コレクション名
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Digital Cultural Heritage
東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター/ 情報学環・学際情報学府図書室が所蔵する資料の一部を公開しております。