Due indici della tavola seguente.

Alternative title
次図の索引
Language
Italian
Type
StillImage
Creator
Giovanni Battista Piranesi
Creator transcription
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
Description

Series Title:IL CAMPO MARZIO DELL' ANTICA ROMA

シリーズタイトル [Series Title]:古代ローマのカンプス・マルティウス

版画銘文・版刻文1 [Inscription 1]:カンプス・マルティウスの石碑の索引、浮彫りがまとめて表されているもの。〔次図の下半分に描かれた碑文群の番号に対応〕1. マルクス・アウレリウス帝の内部に螺旋階段を持つ円柱1、カンプス・マルティウスの図において番号28の付されているもの。2. 斑岩柱、そこにかかる像は彫刻が悪く、誰なのかは判別できない。アルテンプス卿の館にて。3. 神君クラウディウス帝〔在41年-54年〕の記念門の碑文の断片、バルベリーニ卿の館にて。4. ガイウスとネロのキルクス2[カリグラ帝〔在37年-41年〕とネロ帝〔54年-68年〕の競技場]のオベリスク、現在はサン・ピエトロ・イン・ヴァティカーノ聖堂の中庭に建っている。5. サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会付近に建つオベリスク。6. パンテオン神殿付近に建つオベリスク。両オベリスク〔=5 ,6〕とも、付近の古代建造物の廃虚から発掘されたものである。7. サッルスティウス荘3〔庭園付き邸宅〕内、アポロのキルクスのオベリスク。現在はサン・サルヴァトーレ教会付近にある。8. 日時計のオベリスク4、図においては番号31の付されているもの。現在は倒壊して、かつて建っていた場所付近にある。9. 同オベリスクのステュロバテス[基壇]。同ステュロバテスの基部の断片。10. 11. 基部を取り囲む階段の断片。12. 柱頭5。今より2世紀前に、ファブリ街の遺跡の中から発見されたとされるもの。マッシモ館にある。13. 14. マルクス・ アントニヌス・ピウス神殿〔実際はハドリアヌス神殿〕のコロナ[頂冠帯]の断片。図において番号27が付されているもの。カピトリヌス丘に保存されている。15. 鉛管。パンテオン付近の遺跡から発掘されたもの。マティディア神殿6の導水管の遺物。

版画銘文・版刻文1の訳注:高さ約30m(100ピエディ)の180年から193年に建立された,28の円筒形大理石で出来た記念柱。建立数年前にマルコマンニ族とサルマタエ族,クワディ族に対してアウレリウス帝が納めた勝利が螺旋状の帯状装飾に刻まれている。頂上に1588年から1589年に設置された聖パウロのブロンズ像が設置されている。皇帝ガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス(在37年-41年)は,通称カリグラ帝のことである。「カリグラ」(小さな半長靴)のあだ名は,14年のライン軍団暴動の際,兵士のマスコットになっていたわずか2歳の彼が暴動を鎮めるために前に引き出されたことに由来する。ネロ帝(在54年-68年)は,歌や芝居や戦車競技を好み,このヴァティカンの丘には,カリグラ帝がキルクスを建設し,それをネロ帝が拡張した。この地は市壁外の墓地であった場所であり,墓地に沿って,競技場であった場所にドミティアヌス帝と大アグリッピナ〔ネロ帝の祖母にあたる〕の庭園が広がっていた。使徒ペテロは64年−65年(67年説もある)頃にこの地で殉教し,隣接する墓地に埋葬された。その上にコンスタンティヌス帝によりサン・ピエトロ大聖堂が建設されたのである。ガイウス・サッルスティウス.クリスプス(前86年-34年頃)は,カエサルの友人にしてローマの政治家,歴史家であり,ローマに広大な庭園を所有していた。彼がピンキウス丘に造った庭園は,ティベリウス帝の時から皇帝所有となり,4世紀においても使われ,410年にはゴート族のローマ略奪にあっている。この領域では多くの芸術作品や建物の遺構が見つかっている。前10年にアウグストゥス帝がカンプス・マルティウスに建てたオベリスクで,全体で約89mであったとされる。アラ・パキスの西側,サン・ロレンツォ・イン・ルチナ教会の辺りに位置し,日時計のグノモン[指柱]として用いられた。ある旅行記によれば,8世紀においてもまだ建っていたことが記録されている。1502年にステュロバテスが発見され,1748年にはオベリスクが発掘された。1792年7月14日にモンテチトーリオ広場に再び建てられ,現在もそこに建っている。この柱頭は,現在サン・ロレンツォ・フオリ・レ・ムーラ聖堂の内陣にあたる部分,つまり6世紀に教皇ペラギウス2世(在579年-590年)によって建造された「小聖堂basilica minor」における柱列の柱頭の1つとして使用されているものと同類である。この神殿は,ハドリアヌス帝(在117年-138年)によって,義母マティディアの死後,彼女のために119年に建設された。サンティニャツィオ教会とパンテオンの間付近に建てられ,120年-121年の硬貨の裏面にも表された。カプラニカ広場近くに19世紀に発見された,緑色の縞模様が特徴的な雲母大理石(シポリン)の巨大な5本の円柱は,この神殿のものではないかと推測されている。

版画銘文・版刻文2 [Inscription 2]:カンプス・マルティウスの古代建築の遺構の索引〔次図、上半分の番号に対応〕1. ティベリス川[テヴェレ川]2. ムルウィウス橋の遺構〔おそらくピラネージの認識違いで,3の橋が古代のムルウィウス橋の遺構を用い,現在も利用されているモッレ橋と通称される橋である。この2の遺構は,都市・道路再整備にあたり,1932年に作られたフラミニオ橋建設の際に取り払われてしまったようである。〕3. 現在モッレ橋《ムルウィウス橋》と呼ばれる橋の遺構14. 庭園丘〔後世には,地主となったピンキア氏にちなみ,ピンキウス丘と呼ばれた〕[ピンチョの丘]5. クィリナリス丘6. カピトリヌス丘7. ティベリス島[ティベリーナ島]8. グラティアヌス橋[チェスティオ橋]29. ファブリキウス橋[ファブリツィオ橋,通称クワットロ・カーピ]310. ガイウスとルキウスのバシリカ〔実際は,現在サン・ニコラ・イン・カルチェレ教会の北壁に取り込まれている,フォルム・ホリトリウムにある共和政末期の神殿群の列柱廊の一部〕とポルティクス[列柱廊]〔実際はウィクス・ユガリウスにある共和政期のアーケード〕の遺構11. マルケッルス劇場の遺構12. ポルティクス・オクタウィアエ[オクタウィア回廊]の遺構13. ユノ神殿の遺構14. バルブス劇場〔付属の回廊は現在のローマ国立クリュプタ・バルビ博物館〕の遺構15. ポルティクス・フィリッピ[フィリップス回廊]の遺構16. オクタウィア〔回廊〕の図書館の遺構17. キルクス・フラミニウス4[フラミニウス競技場]のアポロ神殿の遺構18. キルクス・フラミニウスの遺構19. サエプタ・ユリア[投票所]のポルティクスの遺構20. ミネルウァ〔・カルキディカ〕神殿5の柱頭の遺構21. アグリッパ浴場の遺構22. アグリッパのパンテオン神殿623. ポンペイウス劇場の遺構24. セウェルス・アレクセンデル帝〔在222年-235年〕の競技場の遺構25. ネロ帝〔在54年-68年〕の浴場の遺構26. ユトゥルナ神殿〔ラルゴ・アルジェンティーナの共和政期の神殿の1つ〕の遺構27. マルクス・アントニヌス・ピウス神殿〔実際はハドリアヌス神殿〕の遺構28. 同帝〔在138年-161年〕の内部に螺旋階段を持つ円柱729. ウィルゴ水道のアーチ30. サエプタ・トリガリア〔実際は,アウレリアヌス帝の建立による太陽神の神殿〕の遺構31. 倒壊した日時計のオベリスク32. アエリウス橋[現代のサンタンジェロ橋]33. ハドリアヌス帝〔在117年-138年〕の墓34. 凱旋橋[ネロ橋]の遺構35. アウグストゥス帝の墓廟の遺構36. 諸皇帝の火葬場の遺構〔おそらくピラネージの認識違い〕37. アウグストゥス一族の墓〔実際は,グラディアヌス帝およびウァレンティニアヌス帝,テオドシウス帝の門〕38. 同火葬場の下部構造〔実際は,ハドリアヌス帝の墓廟〕39. 女神アモエニタス〔甘美,優美の意〕に捧げられた列柱廊40. 古代の墓の遺構

版画銘文・版刻文2の訳注:この橋の橋脚が作るアーチの4つのうち3つはローマ時代に遡り,その遺構を用いて,現在も橋は利用されている。ムルウィウス橋は,前3世紀に木造の橋として架けられており,前2世紀にケンソル(検閲官)のマルクス・アエミリウス・スカウルスによリ凝灰岩で再建され,15世紀に教皇ニコラウス5世により監視塔が付加された。そして教皇ピウス7世により,ヴァラディエの設計(1805年)に基づき,城門型に姿を変えられた。この橋を有名にしたのは,312年10月28日にこの付近で行われた有名なコンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝の戦いのためである。最終的にキリストの徴に導かれたと伝えられるコンスタンティヌス帝が勝利し,その後のキリスト教を国教とするローマ帝国の歴史のきっかけとなった戦いである。ティベリス島とトラステヴェレを結ぶ橋で,紀元前46年にルキウス・ケスティウスにより建てられた。370年にウァレンティニアヌス帝,ウァレンス帝,グラティアヌス帝らによって修復され,1892年に部分的に大改修されている。ローマに現存する最古の橋。執政官ルキウス・ファブリキウスが,紀元前62年に建て,現在までほとんど手付かずのまま残っている。キルクス・フラミニウスは,カンプス・マルティウスの南側に位置し,前221年にフラミニウス・ネポスによって建てられた。4世紀においても,まだ建っていたという記録が残っている。中世にはナヴォーナ広場にあたるドミティアヌス帝のスタディウムと混同されていたが,16世紀からはボッテーゲ・オスクーレ通りVia delle Botteghe Oscureに沿ったパガニカ広場にあった"Castrum Aureum"として知られる遺構と同一視されるようになった。以降長いことパガニカ広場とマルガナ広場の間辺りに位置していたと考えられていたが,3世紀に遡るとされる大理石製のローマの都市地図断片,フォルマ・ウルビス・ロマエFURや発掘の成果によれば,ポルティクス・オクタウィアエ[オクタウィア回廊]とテヴェレ川の間に位置していたと考えられている。この神殿の上に建てられたのが,サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会とされてきたが,現在はそこから東に少しずれたコレッジョ・ロマーノ広場にあるサンタ・マルタ教会の辺りに位置するという見解に至っているようである。この神殿は,3世紀に遡るとされる大理石製のローマの都市地図断片,フォルマ・ウルビス・ロマエFURによれば,円形の建物だったとされる。アグリッパが作ったパンテオンは,後にハドリアヌス帝が作り替えたパンテオン(現存する円堂形式の神殿)の正面列柱部分にあったことが,部分的発掘によって確認されている。長いこと現存するパンテオンがアグリッパによるものと考えられていたのは,その碑文に先人の功績を称えて「アグリッパが建造」と記されていたからであり,200年頃ローマで活躍したディオ・カシウスの記述もそのように解し,広く受け入れられていたからである。赤色花崗岩で一本石のこの記念柱は,14.75mあり,1703年に発掘された。1705年にモンテチトーリオ広場ヘと運ばれ,1764年までそこに置かれていた。記念柱を納めていた小屋が火事になり,柱身がひどく破損し,記念柱を再び直立させる計画は頓挫した。その赤色花崗岩は,モンテチトーリオ広場に建つオベリスクの修復に用いられ,基壇は現在ヴァティカン博物館に所蔵されている。

Signature:Piranesi F.

Volume/巻番号:10

Plate/葉番号:4

Kamei Collection Number/亀井文庫番号:421

Firmin-Didot Number/Firmin-Didotレゾネ番号:421

Negative Film Number/ネガ記載番号:10004

Image Number/画像シリアル番号:514

Image Size/画像実寸:487X236

Plate Size/プレート実寸:494X246

図版に関する補足:421と422で一組。これは注釈の図版の部分。実測値の長さは2枚合わせた全体の幅。

Calcografia volume number/Calcografia巻番号:DECIMO

Calcografia Number/Calcografiaレゾネ番号:421

H.Focillon Number/H.Focillonレゾネ番号:437

H.Focillon's description:437. II. Scenographia Campi Martii. -- Titre dans un cartouche en haut à gauche; 2 pl. de notes rapportées à dr. et à gauche. -- Sig. en bas à gauche. -- H. 0.49. L. 0.73. -- Chacune des pl. de notes, H. 0.485. L. 0.113. -- Fil. d'encad. aut. de la gr. et des notes.

H.Focillon記述 [H.Focillon's description]:437。図版2。カンプス・マルティウスの景観図。−左上のカルトゥーシュにタイトル。左右に2枚の注釈の図版が付け加えられている。−左下に署名。−高さ0.49,長さ0.73。−各注釈の図版,高さ0.485,長さ0.113。−版画と注釈の周囲に枠線。

H.Focillonによる記述_備考:1. 本図は注釈の図版の部分。

J.W.Ely Number/J.W.Elyレゾネ番号:568

J.W.Ely's Title:View of the Campus Martius. Aerial view with significant monuments in the foreground and key to buildings depicted on either side of plate.

J.W.Ely's description:Aerial view with significant monuments in the foreground and key to buildings depicted on either side of the plate. Indices at the sides fold out.Signature, lower left.

Taschen Number/Taschenレゾネ番号:490

subject:maps

Calco_tav_no:tav. 1

subcategoria:indices of a map

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