Topografia del Campo Marzio.

別資料名
カンプス・マルティウスの地勢図
言語
イタリア語
種別
静止画資料
編著者
Giovanni Battista Piranesi
編著者(ヨミ)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
内容記述

Series Title:IL CAMPO MARZIO DELL' ANTICA ROMA

シリーズタイトル [Series Title]:古代ローマのカンプス・マルティウス

Part Number/シリーズ内番号:Tab.I

Inscription 1:Topographia Campi Martii cum notis locorum, de quibus Sermo est Capite I. et VI. artic. XVII.A Insula Tiberina. B Pons M. Aemilii Scauri, nunc Milvius. E Collis Pincius, sive hortorum F, G, H Colles hortorum. I Pantheon. L Porta Flaminia. M Collis Citorius. N Collis Iordanus. O Locus collegii Romani. P, Q Porta Flaminia, in quibus nunc campus Floræ, et ædes Farnesiorum. R Locus ædium Principum Carboneani. S. Mausoleum Augusti. T Septa Iulia. V Ripa Minor. X Montes Vaticani. Y Campus Vaticanus. a Vestigia veteris via Flaminiæ. b Fons aquæ acidulæ. c Porta Salaria. d Vestigia Pontis Milvii nunc diruti. e Vestigia turris quæ excubabat ad pontis custodiam. f Vestigia pontis Fabiani. g Porta Pinciana. h Ubi fuerit antiquitus Porta Collina. i Ubi fuerit Porta Ratumena. k Locus collegii Nazareni. l Emissarium Triviæ, sive recens castrum aquæ Virginis. m Templum M. Antonini. n Templum S. Ignatii. o Columna choclides M. Antonini. p Locus unde erutus est arcus M. Antonini. q Locus unde erutus est obeliscus gnomonicius. r Locus veteris Portæ Flaminiæ.

版画銘文・版刻文1 [Inscription 1]:カンプス・マルティウスの地勢図,各地点の記号付き。これらの地点については〔序文の〕第I章および第VI章XVII節にて論じられている。A ティベリス島[ティベリーナ島]。B M・アエミリウス・スカウルスの橋,現在のミルウィウス橋。C. カピトリヌス丘。D. クィリナリス丘。E. ピンキウス丘[ピンチョの丘],あるいは庭園丘。 F, G, H 庭園の丘。I. パンテオン。L フラミニウス門。M モンテチトーリオ。N モンテ・ジョルダーノ1。O ローマのイエズス会神学校の位置。P, Q フラミニウス門,現在はカンポ・ディ・フィオーリとファルネーゼ宮2がある。R カルボネアーノの館の位置。S アウグストゥスの墓廟。T サエプタ・ユリア。V リペッタ〔小さな岸・テヴェレ河岸の港があった辺り〕。X ウァティカヌス丘。Y カンプス・ウァティカヌス。a 古代のフラミニウス街道の遺構。b アキダリアの泉3。c サラリア門。d 現在は倒壊しているムルウィウス橋4[モッレ橋]の遺構。e 橋の防御のために監視していた塔の遺構。f ファビアヌス橋の遺構。g ピンキウス門。h かつてコッリナ門があった場所。i 古代にラトゥメナ門があった場所。k ナザレ寄宿学校5の位置。l トリウィアの〔水道の〕排出口〔=トレヴィの泉〕、あるいは近年におけるウィルゴ水道の貯水施設6。m M・アントニヌス神殿7。n サンティニャーツィオ教会。o M・アントニヌスの内部に螺旋階段を持つ円柱8。p M・アントニヌスの記念門が発掘された場所。q 日時計として使用されたオベリスクが発掘された場所。r かつてのフラミニウス門の場所。

版画銘文・版刻文1の訳注:モンテ・ジョルダーノは,人工的な高台で,中世に要塞化された。最初の所有者は12世紀半ばの人物,ジョヴァンニ・ディ・ロンツィオーネGiovanni di Roncioneと伝えられ,1286年にはオルシーニ家が居を構えていたことが確実だが,その際もまだジョヴァンニ・ディ・ロンツィオーネの名を伝えるmonte qui dicitur Johannis Roncionisと呼ばれていたようである。1328年にはMons ursinorumと呼ばれ,ダンテもその名を記しているが『神曲』[地獄篇,18,28-33],それは1341年のローマの司法長官であった,ジョルダーノ・オルシーニGiordano Orsiniの名から来たものである。モンテ・ジョルダーノの名は,彼の名にちなんだものである。現在はその要塞部分に15世紀に建設されたタヴェルナ館palazzo Tavernaが建っている。2つの噴水で美しく飾られている同名の広場に正面が面している。そのファサードの一番上には,ファルネーゼ家の象徴である百合で飾られた見事なコーニスがある。現在はフランス大使館が置かれているこの建物は,1517年にアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネが枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼのために着工した。彼は正面部分を作り,その後ミケランジェロ(コーニスとファサードのバルコニー部分)とジャコモ.デッラ.ポルタが引き継ぎ,テヴェレ川に向いた外観を作った。aciduliaは,acidaliaの綴り間違いと判断した。アキダリアとは,ウェヌスの異名で,ボエオティアにある同名の泉にその名はちなんでいる。ウェヌスは美の三美神と共にそこで水浴びをするのが常であった。ムルウィウス橋は,前3世紀に木造の橋として架けられており,前109年にケンソル(検閲官)のマルクス・アエミリウス・スカウルスによリ凝灰岩で再建され,15世紀に教皇ニコラウス5世により監視塔が付加された。そして教皇ピウス7世により,ヴァラディエの設計(1805年)に基づき,城門型に姿を変えられた。この橋を有名にしたのは,312年10月28日にこの付近で行われた有名なコンスタンティヌス帝とマクセンティウス帝の戦いのためである。最終的にキリストの徴に導かれたと伝えられるコンスタンティヌス帝が勝利し,その後のキリスト教を国教とするローマ帝国の歴史のきっかけとなった戦いである。この施設は,16世紀の末にナザレの大司教ミケランジェロ・トンティによって設立され,1689年からトンティ館が活動拠点となっている。1617年にローマで設立された貧しい子弟の教育に当たるスクオーレ・ピーエ修道会によって,貧しい若者達への寄宿学校に改変された。文脈からcastrumの語をcastellumの意として判断した。マルクス・アグリッパがアクティウムの海戦からローマに戻る途中,ローマから26キロ地点で疲れ,のどの乾きを覚えた際にトリウィアという名の少女から水の湧く泉の在り処を教えられた。アグリッパはその水源からローマに水を引いた。少女にちなんで,「ウィルゴ=乙女」水道と名付けられ,ウィルゴ水道の水を引いて作られたトレヴィの泉は,少女の名,トリウィアにちなんでいる。 マルクス・アウレリウス帝(在161年-180年)の死後,神格化された皇帝を祀る神殿とされるが詳細は不明である。おそらく彼の記念柱と程近いところにあったとされ,モンテチトーリオ広場において1960年に発見された格間を伴う天井の一部や大理石製の杯の断片などは,この神殿のものであった可能性が高い。マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の記念柱のことである。高さ約30m(100ピエディ)の180年から193年に建立された,28の円筒形大理石で出来た記念柱。建立数年前にマルコマンニ族とサルマタエ族,クワディ族に対してアウレリウス帝が納めた勝利が螺旋状の帯状装飾に刻まれている。頂上に1588年から1589年に設置された聖パウロのブロンズ像が設置されている。

Signature:Piranesi F.

銘記・署名 [Signature]:ピラネージ作

Volume/巻番号:10

Plate/葉番号:3

Kamei Collection Number/亀井文庫番号:420

Firmin-Didot Number/Firmin-Didotレゾネ番号:420

Negative Film Number/ネガ記載番号:10003

Image Number/画像シリアル番号:513

Image Size/画像実寸:384X276

Plate Size/プレート実寸:390X282

Calcografia volume number/Calcografia巻番号:DECIMO

Calcografia Number/Calcografiaレゾネ番号:420

H.Focillon Number/H.Focillonレゾネ番号:436

H.Focillon's description:436. I. Topographia Campi Martii. -- Titre dans un cartouche en bas de la gr. -- Sig. en bas à gauche. -- H. 0.385. L. 0.275. -- Double fil d'encad.

H.Focillon記述 [H.Focillon's description]:436。図版1。カンプス・マルティウスの地勢図。−版画の下部のカルトゥーシュにタイトル。−左下に署名。−高さ0.385,長さ0.275。−二重の枠線。

J.W.Ely Number/J.W.Elyレゾネ番号:567

J.W.Ely's Title:Map of the Campus Martius. Showing the physical characteristics of the site.

J.W.Ely's description:Showing the physical charastaristics of the site.Signature, lower left.

Taschen Number/Taschenレゾネ番号:489

subject:maps

Calco_tav_no:tav. 1

コレクション名

シェアする

関連資料

Due indici della tavola seguente.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館

Pianta di Roma e del Campo Marzio col relativo Indice e la dedica a Clemente XIII; in tre fogli, e titolo riportato.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館

Pianta di Roma e del Campo Marzio col relativo Indice e la dedica a Clemente XIII; in tre fogli, e titolo riportato.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館

Veduta di Piazza Navona sopra le rovine del Circo Agonale.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館

Piccola pianta topografica dimostrante l'ubicazione della colonna medesima.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館

Fusti di colonne e un bassorilievo da Ville Romane.

Giovanni Battista Piranesi
ピラネージ画像データベース Opere di Giovanni Battista Piranesi | 総合図書館